「経済的自由」と「社会的孤立」の狭間で
内閣府の「令和6年度 高齢社会対策総合調査 (高齢者の経済生活に関する調査)」によると、社会的な活動の有無と認知機能のあいだに明確な関連がみてとれます。
たとえば「今日が何月何日かわからない時があるか」という質問に対し、「ない(いいえ)」と明確に答えられた人の割合は、ボランティア活動や趣味などの社会活動を行っている人では約9割に上るのに対し、「特に活動はしていない」人では73.8%にとどまりました。日々の予定や社会との関わりを持たない生活は、妻が危惧するように、認知機能に影響を及ぼすリスクがあることがデータからも窺えます。
また、タカフミさんのように「会社以外の繋がりがない」というのは、日本のシニア男性にとって珍しいケースではありません。同調査で50代のころの働き方について振り返ってもらったところ、「知り合いはほぼ仕事関連の人たちだった」と回答した男性は30.4%に上り、「リタイア後のことはまったく考えていなかった」という男性も28.6%を占めています。現役時代を「仕事人間」として駆け抜けた彼らにとって、仕事を辞めることは「社会的な繋がりの完全な喪失」に直結しやすいのです。
こうした背景から、十分な資産があっても、あえて働き続ける選択をするシニアは少なくありません。現在、収入を伴う仕事をしている理由として「働くのは体によいから、老化を防ぐから」と答えた人が全体の20.1%に上っている
ことからも、労働がシニアの心身の健康を保つ重要な防波堤になっていることがわかります。
タカフミさんのように「お金の壁」は完全にクリアできても、「会社以外の居場所がない」という理由で、完全リタイアへの最後の一歩を踏み出せないシニア男性は、いまの日本社会に数多く存在しているのです。
妻に認められるための労働
今日もタカフミさんは、それほど好きではない職場のデスクに向かい、再雇用の業務をこなしています。手元の通帳には5,000万円という確かな安心感があるにもかかわらず、彼の表情は晴れません。
「妻のいうことも、一理あるとは思うんです。確かに、明日からなにもしなくていいといわれても、やることがないのは事実ですから。でも……」
タカフミさんは小さくため息をつきながらぼやきました。
「なんとか妻に納得してもらう方法はないものか。これまで40年以上、働き続けてきたんだから。私はただ、もう自由になりたいだけなのに」
リタイア後の「居場所」をどう作るか。その宿題を解けない限り、タカフミさんの自由への扉は閉ざされたままです。資産額という数字の上では完璧なリタイアの条件を満たしながらも、彼は明日もまた、「妻に認められるための労働」へと向かいます。
