◆母親はショーも人生も規格外
――“動物を交わる”ショーが非常に好評を博したとのことですが、当時、有賀さんはお母様のアシスタントみたいなことをしていた。有賀美雪:ショーで使う犬を出し入れするのは、当時3〜4歳だった私の仕事でしたね。もちろん、当時は何をやっているのかわかってみていたわけではありません。だから迷子になると、交番で「おまわりさん、ママがショーをやってるから見に来てね」なんて言ったりして。でも7歳くらいになれば、だんだんいろんなことがわかってきますよね。銭湯に行けば母の刺青をみんなが見ているし、母は小指の先がないしね。
――その後、お母様は犬以外にもチンパンジー、馬とのショーを展開して成功を収めていく。
用賀美雪:そうですね。母は発想がダイナミックで、普通のストリッパーには考えつかないようなことをやるんですよね。覚えているのは、「ハイセイコーの種が入ってる子がいいんだよな」なんて言いながら、JRAに電話して譲ってもらえないか交渉して、先方から怒られてましたね(笑)。結局、競走馬だと楽屋にも入り切らないので、北海道の牧場からポニーを譲り受けてショーをやっていたんですよね。それでもかなり大きかった気がします。
――その後、お母様はご自身の劇場を開業されるわけですね。
有賀美雪:はい。私が8歳のときに開業し、その劇場は群馬県にありました。でも、踊り子として雇っていた女性のなかに、当時18歳に満たない子が3人いたんです。それが労働基準法、職業安定法、児童福祉法に抵触するとされました。母は潔く逮捕されまして、懲役5年が確定しました。もちろん、実刑です。栃木県にある女子刑務所に入っていたはずです。実際には、満期まではいなくて、3年5カ月ほどで出ましたが。
◆中学卒業後にデビューするまでの経緯

有賀美雪:それが全然違うんですよ。本来は中学生くらいの年齢で、私は学校にも行かずに単車を乗り回したりしていたわけです。そのときはすでに、母は懲役から帰ってきていたのですが、私の体たらくに母が激怒して……家出をしてしまったんです。うちには父がいません。2〜3週間待っても帰ってこなくて、「あぁ見放された」と気づいたんです。14~15歳で独り暮らしですよ、しかも通帳を見たら25万円しか残っていませんでした。近所のスナックで年齢を誤魔化して働いたこともあるけれど、地元の先輩が来るとバレてクビになるんですよね。
――それは困ったことになりましたね。
有賀美雪:結局、叔父(母親の弟)を頼る形で、私はストリップデビューすることになったんです。叔父もまた、ストリップ劇場につてのある人でした。母に知られないまま、この世界に入ったんです。
最初は千葉県のストリップ劇場で稽古をしたのですが、かなりのスパルタです。当時は服の脱ぎ方を教えたりもありませんから、いきなり「舞台に出ろ」「乳を揉め」なんて言われてスパルタでね……。演者も朝から酒飲んでるお姉さんもいるし、なかなかパンチの効いた世界でした。
――デビューは名門・浅草ロック座だとか。
有賀美雪:そうなんですよ。千葉の劇場でやってたショーともまた作法が違っていて、ロック座は「見えそうで見えない」みたいなラインを楽しむらしいんですよ。私はそれを知らなかったので、最初は怒られましたね。

