崩壊寸前だった「家族の絆」
落ち着きを取り戻したカヨさんの口から語られたのは、在宅介護の過酷な現実でした。
母親の認知症はここ半年で急激に進行。夜間の徘徊や排泄物の不適切な処理、そしてカヨさんに対する「財布を盗んだ」といった被害妄想が日常茶飯事になっていたのです。
「月14万円の年金じゃ、使える介護サービスに限界があるのよ……」
カヨさんは、涙を拭いながら手帳を見せてくれました。要介護認定は受けているものの、年金14万円の予算内では、ケアマネジャーと相談してデイサービスを週に数回利用し、ショートステイをたまに挟むのが限界。プロの手を借りられない残りの大半の時間は、すべてカヨさんがすべて背負い込むしかありませんでした。
さらに深刻だったのは、カヨさん自身の家庭崩壊です。介護のために離職し、実家に付きっきりになったカヨさんに対し、カヨさんの夫は不満を募らせていました。「自分の親の介護ばかりで、家のことをまったくしないじゃないか」。そう夫から責め立てられ、カヨさんの夫婦関係はすでに破綻寸前、離婚の危機にまで追い込まれていたのです。
「プロに任せる」という選択
妹の悲痛な叫びを聞き、マサミさんは激しい自責の念に駆られました。
「カヨ、本当にごめん。私が甘えてた。……でもね、もうこれ以上、あなたが一人で頑張る必要はないよ」
「施設に入れるなんてお母さんがかわいそう。お母さんは、ここから離れたくないんだよ」
「いや、これはもう、老人ホーム一択でしょ。お母さんのためにも、あなたのためにも」
在宅での家族による献身的な介護は、一見美談のように語られがちです。しかし、家族が閉ざされた空間のなかで、24時間認知症の患者と向き合い続けることは、介護する側の人生を追い詰めるケースも。確かに、特別養護老人ホームはすぐには空きがなく、民間の有料老人ホームへの入所にはお金がかかります。母の年金14万円だけでは、施設の月額利用料に足りない可能性が高いでしょう。
「不足する分の費用は、私が毎月仕送りする。この家の売却も視野に入れよう。お金のことは私が責任を持つから、カヨはいますぐ、自分の家へ戻りなさい」
家族だけで抱え込まない選択肢
それから数ヵ月後かけてマサミさんはカヨさんを説得し、母親の老人ホームへの入所が決まりました。
プロのスタッフによる適切なケアと規則正しい生活のおかげで、母親の不穏な行動は徐々に落ち着きを取り戻し、面会に訪れるマサミさんたちに対して、時折穏やかな笑顔を見せるようになっています。仕事を辞めてまで介護に縛り付けられていたカヨさんも、無事に夫との生活に戻り、最近では新しいパート先も見つけて自分の人生を再スタートさせました。
内閣府の「令和6年度 高齢社会対策総合調査 (高齢者の経済生活に関する調査)の結果」によると、現在収入を伴う仕事をしていない理由として「家族の介護や家事のため」を挙げる人は全体で11.1%ですが、60〜64歳の女性に条件を絞ると、その割合は25.8%にまで跳ね上がります。介護のために仕事を辞めざるを得ない女性が一定数存在するという厳しい現実が、データからも浮き彫りになっています。
また、同調査で「優先的にお金を使いたいもの」として「親のための支出(医療・介護の費用等)」を挙げる60代前半の女性も17.8%(全体平均は10.0%)おり、親の介護問題に直面する世代のリアルな経済的負担感が窺えます。
親への愛情や責任感から「家族なんだから、自分が看なければ」と抱え込むことは、結果として介護者自身の人生を追い詰める「共倒れ」のリスクを孕んでいます。家族だけで抱え込まず、資産状況を見極めたうえで早期にプロの力を頼ることで、親の尊厳と家族の未来の両方を守れるのではないでしょうか。
