
◆バンド活動と大人AKBへの挑戦
――まさに今月、ライブアイドルを引退されるとのこと、お疲れ様でした。アイドルを目指すことになったのは、どのような経緯でしょう。鈴瑚:ありがとうございます。ライブアイドルは引退しますが、ラジオやタレントとしての活動は継続します。実は学生時代はバンド活動に没頭していて、「アイドルになりたい」と思ったことはありませんでした。とにかくアルバイトをやってライブハウスで演奏して……みたいな女子高生で、学校のイベントもそっちのけで音楽をやっていました。
2005年、30歳を直前に私はカフェバーを経営するのですが、その常連さんにアイドルオーディションを勧められたのがきっかけです。「大人AKB」というグループでした。ただ当時は内心「30代でアイドルなんて、なって良いものなの?」という気持ちがありました。大人AKBのオーディションは1次審査は受かり、2次審査で敗退しました。
――アイドルというのは、どういうイメージでしたか。
鈴瑚:若くて可愛くて、雲の上にいる存在というか……少なくとも自分がなることを想像したことはなかったですね。ただ、確かに「音楽をやり残した」という思いはあったんです。
――やり残した音楽をやりたいと思ったのはなんででしょう。
鈴瑚:2011年に東日本大震災があって、福島県に嫁いだ友人がいたことから、私は東京に住んでいたけど心理的には身近でした。おおげさにいえば、死生観みたいなものがガラリと変わったんです。カフェバーは軌道に乗っていましたが、なんとなくそのときから「店を閉めて、夢を追ってみよう」とは考えていたと思います。
◆複雑な家庭環境と亡き母親への想い
――踏み込んだことですが、鈴瑚さんは一度も結婚されていませんよね。あまり恋愛や結婚には興味がなかったのでしょうか。鈴瑚:興味がないわけではないんです。ただ、そのあたりは、生育歴も関係するかもしれません。私はきょうだいが上にも下にもいますが、父親が異なるんです。母は非常に恋多き女で、3回結婚をしました。小学生くらいからそんな母に対して、どこか冷めた目で見ている自分がいました。でも、本当は「甘えたい」という気持ちも確かにあったんですよね。
――複雑な家庭環境ですね。
鈴瑚:母が3回も結婚したこと以外は、さほど問題のある家庭ではなかったんです。ただ多感な時期にはそれが受け入れられないことがありますよね。父の異なる姉と話したとき、「ニュースで取り上げられるようなネグレクトや虐待などの家庭もあるなかで、うちはそういうことはなかったよね」という話になりました。男性との間に子どもを作っては結婚して……という奔放さはありますが、きちんと産んで育てた人でもありましたから。
――お母様との関係で後悔していることもある。
鈴瑚:母は私が18歳のとき、高校を卒業するちょっと前にくも膜下出血になってしまいました。幸い、そこでは一命を取り留めましたが、麻痺は残り、以前のようにスムーズな会話ができなくなりました。先ほどお話した通り、私はアルバイトとライブハウスを行ったり来たりしていて、よくできた学生ではなかったものですから、母から咎められてばかりでした。そのたびに「うるせー!」とか反発して、心から憎んでいたわけではないものの、素早くなれなかったのは悔やまれますね。その後、母は他界しました。母に介護が必要な状態になってからは、自分も経済面など現実的なことに追われれる日々になりました。そうした事情もあり、年頃の女の子にしては、あまり恋愛のようなウキウキするイベントが少なかったのかもしれません。

