
デビューのきっかけ、単身渡米しポルノスターの仲間入りを果たすまでの道のり、乳がん闘病秘話や、支えてくれたパートナー男性との絆まで、赤裸々に語ってくれた。
◆同期のグラビアアイドルたちがセクシー女優に。「私もやりたい!」

「毎年1ヶ月くらいは日本に帰ってきているんですよ。こっちで知り合いと会って喋っていると、日本語を忘れかけていることに気づかされます」
――まりかさんは2009年にセクシー女優としてデビュー。それまではグラビアアイドルとして活躍していました。
「そもそものスタートは、バイト感覚で雑誌の読者モデルをやったことなんです。カメラで撮られることがすごく楽しくて、どうしたら続けられるだろう?と考えて、オーディション雑誌を見て片っ端からいろんなところを受けまくったら、サンミュージックに所属することができました。
ただ、その後も勝手に色んなオーディションを受けまくっていたら、バレてクビになっちゃった(笑)。ズルしようとしたわけではなく、単にそれがいけないことだとは知らなかったんですよ」
――最初にちょいセクシー系の作品に出るようになったきっかけは?
「たまたまネットでグラビアの制作をしている人と知り合ったんですよ。そしたら、知り合って1週間後くらいに『沖縄でのグラビア撮影でモデルの子がキャンセルになったから、代わりに出ない?』と連絡があったんです。前乗りでホテルに宿泊させてもらって、その日はすごく楽しかったんですが、寝る前に同室だったメイクさんに『パイ〇ンにしてきた?』って聞かれて、『えっ!?』って」
――そういう撮影だとは知らなかったのですね。
「はい。私は普通のグラビアだとばかり思っていたのですが、ポージングもかなりキワどい感じだったので途中で察しました。事前に聞いていた雑誌の発売日が母の誕生日だったので、娘の晴れ姿をプレゼントしようと画策していたのに……」
――それは無理かも(笑)。
「でも、撮影は嫌ではなかったし、むしろ楽しかったですよ。その後も仕事がどんどん決まったし。でも、当時は事務所に所属していなかったんです。サイン会がやりたくてもできなかったから、自費でDVDを購入してショップに直談判したり、ティッシュにチラシを挟んで配ってみたり、1人で頑張っていました」
――ものすごいバイタリティですね。
「しばらく経つと、さすがに個人では限界を感じて事務所に入りましたけどね。そしたらヌード写真集も決まったし、Vシネマや深夜テレビ番組にも出演できたし、もう順調そのもの。でも、担当マネージャーが独立することになり、それについていってからは完全にゼロからのスタートになってしまいました」
――セクシー女優への転身を決めたのはその頃ですか?
「そうですね。暇を持て余してネットを徘徊していたら、同時期にデビューしたグラドルたちがセクシー女優になったと知ったんです。それが、範田紗々ちゃんやHitomiちゃん。めちゃくちゃ売れている姿を目の当たりにして、『すごい……私もやりたい!』と」
――それでソフトオンデマンドの「第1回SODstarシンデレラオーディション」に?
「当然のようにマネージャーからは怒られましたが、私はやることを心に決めてしまったので、貫いてしまいました(笑)」
◆日本のハードコア女優から世界のトップポルノスターへ

「2013年から、日本とかけもちで定期的にアメリカに行くようになりました。完全に拠点を移したのは翌年の2014年。飼い猫とともに渡米しました。でも、当時はまったく英語がしゃべれなかったんですよね。男優の大島丈さんからは『せめて駅前留学してから行けよ!』と言われました(笑)」
――心に決めたらすぐに動く、まりかさんの性格がよくわかります(笑)。向こうでの仕事はどのようにして探したのですか?
「最初は知り合いのポルノライターさんのツテで、エージェント契約を進めていたのですが、サインしようとした瞬間に業界の重鎮みたいな方が通りかかって、『君は往年のスターのオーラがある!』と言われ、最大手のトップエージェントに連れて行かれたんです。簡素なレンタルオフィスで、ソファーに横たわっていたクッキーモンスターみたいなおじさんに『脱いでみろ』と言われたのは衝撃でした(笑)。
結局そのときは、すでにレジェンド的な日本人ポルノスターのアサ・アキラさんがいるからって断られてしまいました。でも、フェイスブック経由で日本マニアの監督が私を見つけてくれて、フリーの女優として撮ってくれたんです。ただ、そのタイミングで、ポルノ業界に性病が流行ってしまって……。完全に業界がストップしちゃったんですよね」
――せっかくアメリカにまで行ったのに……。
「それでも性病検査だけはしっかり受け続けていたら、前に断られたトップエージェントから『うちにおいでよ』って言ってもらえたんです。その後は、もう順調そのもの。インターナショナル女優としてアワードにノミネートしてもらえるまでになって、じゃあ次はアメリカ人のカテゴリでのノミネートを狙おう、と考えていました。でも、その時期に乳がんが発覚したんです」

