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「悲しいの類義語は?」→「ぴえん」現役高校生の“語彙力不足”に国語講師が危機感を抱くワケ。「自分が何を考えてるかわからない」

「悲しいの類義語は?」→「ぴえん」現役高校生の“語彙力不足”に国語講師が危機感を抱くワケ。「自分が何を考えてるかわからない」

―[貧困東大生・布施川天馬]―

 みなさんは、最近食べたものの中で何が一番おいしかったでしょうか?

 その食べ物は、和食でしょうか、洋食でしょうか、はたまた中華やエスニック料理でしょうか。

 いま、みなさんを質問攻めにしながら、私自身も美味しかったものを思い返してみました。

 私の場合は、先日何気なく入った居酒屋で頼んだ出汁巻き卵が浮かびます。

 外側はしっかり焼き上げられており、少し硬めな表面をかみしめると、中からは柔らかな卵の層が。一緒にほのかな甘みと出汁の塩味が染み出してきて、卵本来の味わいを彩ってくれていました。

 私は甘い卵が苦手な反面、出汁と塩の効いたものが大好物ですから、とても印象に残っているのでしょう。

 さて、私はここまで書いた原稿のおよそ300文字のうち、100文字以上を卵の味の形容に割きました。

 どれくらい感動したかを伝えられたかもしれませんが、「そんなにうだうだ言わずとも『たまごがおいしかった』でいいじゃないか」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 私はそうは考えません。せめて自分の感動した物事くらいは、自らの持ちうる全ての語彙を総動員してでも、感動を言葉に残す努力をすべき。

 そして、この一見無駄な習慣とこだわりこそが、全く勉強しなかった私の「地頭」を東大合格レベルまで押し上げた大きな要因なのです。

「美味しい」主観評価は役に立たない
※画像はイメージです

◆「美味しい」主観評価は役に立たない

 先ほど、私は「美味しかったもの」について尋ねました。

 普段何気なく使う「美味しい」という言葉ですが、もちろん人によって何を美味しいと感じるかは異なってくるわけです。

 例えば、私はウニが苦手です。全く美味しいとは感じませんし、口に含んでもすぐに吐き出してしまいます。

 しかし、ウニが大好きな方は数多くいらっしゃるでしょう。逆に、私の大好きなキノコがダメな人もいますよね。

 味覚は人それぞれといいますが、感じる味はある程度同じはずです。

 同じものを食べて「辛い!」「甘い!」が同居することがあまり考えられないように、私たちの言う「美味しい!」「不味い!」は、同じような味わいに対する客観的評価であるといえます。

「美味しい」と我々が言うときに感じるのは「美味しい味」ではなく、「嗜好に合う味」でしょう。

 ある要素が得意か不得意かによって決まる、極めて属人的かつ主観的な評価こそが「美味しい」であり、客観的に評価可能な「美味しい味」はないといえます。

 食べ物に対して「美味しいよ!」と評価するだけでは、何の情報量もありません。

 それはあくまで「自分の味覚にはあっている」と伝えるにとどまり、相手が自身の舌にあうかどうか判断する材料が一切提供できていないためです。

 ですから、未知の食べ物を形容するときには「美味しい」ではなく「甘い」とか「辛い」といった属性を表す評価が必要でしょう。

 さらに、一口に「甘い」といっても、バニラアイスクリームの甘さと黒糖の甘さ、はたまた熟したリンゴの甘さは全く異なりますから、どのような味わいかを「ねっとりした」「さっぱりした」など形容しながら表さなくてはいけません。

◆語彙の豊富さが思考力に直結する

 相手に伝えるために、自らの感じる味わいを観察する必要が出てきますが、ある味わいを表すためには、それに対応する言葉を知らなければいけません。

 言葉こそ、私たちが世界を見る上で最も必要なレンズなのです。どれほど多くの言葉を知っているかが、どれほど細やかに世界や自分の内面を見ることができるかにつながります。

 蒸かしたジャガイモにバターをとろかせたじゃがバター。そのほっこりしたやさしいイモの食感や、まろやかさを加えつつ塩味が全体を引き締めてくれるとろけたバターの味わいを「ほっこり」「まろやか」などの表現を使わずに、果たして表現できるでしょうか?

 さらに、言葉は、複雑な世界を分解して見られるようにしてくれます。

 格闘家の流れるような演舞を見るだけでは何が何だかわかりませんが、技名を列挙されれば「あぁ、この技からこの技へ切り替わっているのだ」と分解できるようになりますよね。

 仮に自分の表したい内容を示す言葉がなかった場合には、新しく作りだされることもあります。かつて流行語になった「かわちい」という言葉があります。

 今ではほとんど忘れ去られつつありますが、これもまた「かわいい」ではカバーできない概念を指し示そうとして生まれたようです。新語・流行語の中には一定の割合で生き残るものも出てきており、「ムカつく」などはその最たる例でしょう。

 もちろん、語彙が豊富であればあるほどに、自らの思考も深まっていきます。

 自分が何を考えていて、何を問題としているかについて、より細やかに捉えられますし、それを解決するための材料も、世界を見通す目が優れているために発見しやすい。

 全体主義国家による支配的統治の様子を描いたジョージ・オーウェルの『1984』では、人民から思考力や犯行の意志を奪うために、意図的に語彙を制限した言葉「ニュースピーク」が登場しました。

「良い(good)」に対して「悪い(bad)」ではなく「良くない(ungood)」を配置することで、「悪い」という評価の存在自体を消し去り、その概念に気付かれにくくするなど、言語が思考のベースになっていることがよくわかります。


配信元: 日刊SPA!

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