
◆「周囲から孤立した家庭」での日常は…
――高2からご両親とは暮らしていないと聞きました。紫音:事実です。両親ともに直情径行な家庭で育ちました。言葉で説明をするよりも手が出るのが常でした。およそ話し合いができるタイプではないというか……。特に父の暴力はひどく、父が母を殴って骨折させたこともあります。私も打撲や切り傷を負う怪我をさせられることはありました。
――十分な虐待だと思います……。
紫音:今にして思えばそうだと思います。けれども、両親ともに自身の実家と縁を切っていたため、幼少期、一人っ子の私にとって父と母だけが世界のすべてでした。私はどちらの祖父母にも会ったことがありません。核家族であり、祖父母をはじめとする周囲の大人からの支援は受けられない密室空間でした。行政の介入も期待できず、当時はただ耐えるしかありませんでした。
――暮らし向きはどうでしたか。
紫音:いわゆる虐待家庭にしては珍しく、教育には惜しみない投資があったと思います。父は猛烈に働く人間でもあり、繁忙期は3カ月くらい自宅を空けることもありました。そのぶん、収入は悪くなかったのかもしれません。バレエや器械体操などの習い事はさせてもらえましたし、中学受験をして私立中高一貫校に進学しました。
◆家族崩壊を防ぐため、とある決断を下す
――それでも高2からは別居をする。紫音:はい、学生マンションのようなところへ私は引っ越しました。当時、家庭内での父の暴力がだんだん凄惨なものになったんですよね。「このまま家族全員でいたら、誰かが死ぬな」と感じたのを覚えています。よく考えると児童養護施設などに介入してもらうべきなのでしょうけれど、当時はそういう思考回路がなくて……。私が父を説得して、独り暮らしをすることができました。その後、父も家を出て、母とは別居したようです。
――お父さんから言われた言葉で現在も思い出すようなものはありますか。
紫音:そうですね、「お前は事故的にできてしまった子どもで、欲しくて産んだわけじゃない。堕ろさずに育ててやったんだから感謝しろ」と言われたことはあります。父は何かにつけて感謝を要求する人でした。たとえば、「俺の金で買ったんだから、家のものは感謝しながら大切に使え」のような感じです。
――現在のお父さんとのご関係は。
紫音:亡くなったようです。代理人の方から連絡が来ましたが、一切の相続を放棄しました。

