◆奇妙な連帯感が生まれた二人
あれから数ヶ月。佐藤さんと木村さんの関係は、あの夜以前とは少しだけ違うものになっている。「別に気まずいことを言われたわけでも、何か変わったわけでもないんです。ただ、廊下ですれ違うときの会釈が、ほんの少しぎこちないというか」
誰かに咎められたわけでも、修羅場になったわけでもない。それでも、あの夜の記憶だけが、2人の間にひっそりと残り続けている。
「不思議なんですけど、変な連帯感みたいなのもあるんですよ。『お互い、知ってますよね』っていう」
会社では、ただの顔見知りのまま。プライベートのことなど、何ひとつ知らない関係。それでいて、お互いが知らないはずの「もう一つの顔」を、お互いだけが知っている。
「たぶん、一生このままなんでしょうね。何も言わないまま、何となく気まずいまま」
誰にも言えない秘密を、近くにいる「ただの同僚」と共有している。そんな奇妙な関係が、2人の間には今も続いている。
もし自分が同じ場面に出くわしたら、果たして「見なかったふり」を続けられるだろうか。
<TEXT/maki>
【maki】
ライター・エッセイストとして活動中。趣味は人間観察と読書。取材からエッセイ、コラムまで幅広く執筆している

