
きょうだい同士離れて暮らしていると、その生活実態がみえにくいケースも少なくありません。こうした場合、死後になってはじめて、思い込んでいたきょうだいとは異なる事実が判明することも……。本記事では、波多FP事務所の波多勇気氏が、生涯独身だった68歳男性の事例から、おひとりさまの相続対策について解説します。※紹介する事例は、相談者より許可を得て、プライバシー保護の観点から相談者の個人情報および相談内容を一部変更して記事化しています。
“不憫で孤独な独身兄”が急死…遺品整理で知った「意外な事実」
「お兄ちゃん、最期まで一人だったんだ……」
兄が急死したと聞いたとき、妹の美和子さん(仮名/59歳)は、胸の奥が冷たくなるような感覚を覚えました。
隆さん(仮名/享年68)は、築40年近い賃貸マンションで一人暮らしをしていました。長年地方の部品メーカーに勤め、定年後も再雇用で同じ会社に勤めていたようです。結婚歴はなく、子どももいません。親戚の集まりに顔を出しても自分から話題を振ることはほとんどなく、いつも窓の外をぼーっと眺めている兄でした。
美和子さんの夫・正則さん(仮名/59歳)は、昔からそんな隆さんのことを気の毒に思っていました。
「お義兄さん、真面目だけど、あまり人生を楽しんでいる感じはしないな」
美和子さんも、その言葉を否定できませんでした。自分は結婚し、子どもを育て、持ち家に住み、毎日忙しくしています。一家は三兄弟で、弟の昇さん(仮名/56歳)もまた家庭を持ち、会社員として働いています。独身の隆さんだけが、家族のなかでどこか浮いた存在だったのです。
正月、昇さんが酒の勢いで言ったことがあります。
「兄貴は気楽でいいよな。嫁も子どももローンもないんだから」
隆さんは笑うでも怒るでもなく、煮物の器を手元に寄せながら答えました。
「そう見えるなら、それでいいよ」
この反応を、昇さんも美和子さんも、深く捉えてはいませんでした。
葬儀が終わり、数日後。美和子さんは夫とともに兄の部屋へ入りました。部屋は驚くほどシンプルで、あるのは小さな冷蔵庫と古い炊飯器、すり切れた座布団だけです。押し入れには、何年も袖を通していないような背広が2着だけ。趣味の道具も、高価な家具も見当たりません。
正則さんが部屋を見回して、ポツリと言いました。
「本当に、なにも残してない感じだな」
美和子さんも、同じことを思いました。「やっぱり兄は、慎ましいというより、寂しい人生だったのかもしれない」そう考えながら、窓際に置かれた古い机の引き出しを開けました。
すると、引き出しの奥には、茶封筒が何通も入っていました。
「ちょっと来て。これなんだろう」
美和子さんは、思わず夫を呼びました。
仕送り記録がズラリ…兄が生涯口に出さなかった「巨額の金銭援助」
封筒の表には、「母の施設費」「通院交通費」「保険」「証券口座」「遺言関係」と、几帳面な字が並んでいます。中を開けると、それぞれメモや領収書、振込控えがまとまって入っていました。
最初に開けた封筒には、母親が亡くなるまで入居していた介護施設関係のもの。支払額は1,200万円を超えています。
「お母さんの施設費は、年金と預金でなんとかなっていたんじゃなかったの」
美和子さんは目を疑いました。正則さんも驚きを隠せません。
「これ、全部お義兄さんの口座から払ってるな」
次の封筒には、美和子さんの息子、つまり隆さんにとっての甥に関するメモが入っていました。「大学入学時の祝い金」「引っ越し費用」「資格学校の受講料」……美和子さんは、兄から何度か援助を受けた記憶はありましたが、それがまとまった金額になっていたことまでは把握していませんでした。
さらにほかの封筒には、証券会社から届いた「取引残高報告書」が入っており、投資信託や上場株式の評価額、預り金の残高が記載されていました。後日、相続手続きのために証券会社から死亡日時点の残高証明書を取り寄せると、預貯金と有価証券を合わせた金融資産は約7,000万円にのぼることがわかりました。
最後に見つかったのは、公正証書遺言の謄本。内容は簡潔でした。
財産の一部は妹の美和子へ。生命保険の死亡保険金の受取人は、甥を指定する。残りの財産の相当部分は、母が生前世話になった福祉法人と、地元の奨学金団体へ寄付を希望する。手続きについては、遺言執行者として指定した司法書士に連絡し、税務については税理士に確認してほしい。
そこには便箋も1枚添えられており、隆さんの字で、淡々と書かれていました。
「俺が結婚しなかったのは、母のこと、家のこと、自分の老後のことを考えた結果です。自分の人生をかわいそうだと思ったことはありません。残したお金は、必要な人のところへ行けばいいと思っています」
美和子さんは、便箋を持つ手に力が入りませんでした。浮いた存在に見えていた兄は、家族の気づかないところで母の介護費を補い、甥の将来を支え、自分の死後に残るお金の行き先まで考えていたのです。
「お兄ちゃん、どうしてなにも言わなかったの……」
美和子さんは、机の前に座り込んだまま動けなくなりました。正則さんは、しばらく黙ってから言いました。
「不憫だったのは、お義兄さんじゃなくて、俺たちだったのかもしれないな」
