◆「助手席に乗りたくない男」と称される
こうした話は、いつの頃からか、女性社員の間でちょっとした「共通の話題」になっていた。「最初に話したのは、同期の子に『この前木下さんと同乗したんだけど、なんか疲れた』って話したら、『あ〜わかる!』って即答されたんです。あ、みんな同じ感覚だったんだと思って」
シフトや営業の割り振りで木下さんの車に乗ることになると、社内のグループチャットに「今日木下さんと一緒です」と送る子が出てきた。すると「お疲れさま(笑)」「帰ってきたら話聞ね」という返信がくる。
「最終的には、木下さんの車は覚悟して乗るもの、みたいな感じで、新人への引き継ぎ事項みたいになってきて。誰かが笑いながら『運転はうまいんだけどね』って言うんですけど、その“だけどね”のあとが結構長いんですよね(笑)」
気づけば、社内では「助手席に乗りたくない男」として、木下さんの名前がひそかに定着していた。
ところが、当の木下さんは、そういった社内の空気に気づいている様子はまったくないのだという。
ある夜、会社の飲み会でほろ酔いになった木下さんが、こんな話を始めた。
「俺さ、運転に関しては評判いいと思うんだよね。みんな、俺の車だとなんか安心してくれてる感じがするんだよな」
その場にいた佐藤さんと同僚は、思わず顔を見合わせた。
「否定も肯定もできなくて、みんなで『そうですね〜』ってなったんですけど、あとで同僚とふたりで『……評判、そうかなあ』って(笑)。悪い人じゃないのは本当にそうで、だからこそ何も言えないんですよね」
◆技術は高いはずなのに、なぜ?
佐藤さんは最後にこう話してくれた。「木下さんは本当に悪気がないんだと思うんです。運転が好きで、ちょっと自慢したい気持ちもあるのかもしれないけど、それ自体はわかる気もするし。ただ、助手席にいる側は、運転技術よりも『この時間が気楽かどうか』の方が正直大事だったりして。そこがちょっとズレてたのかなとは思います」
運転がうまいことと、同乗者が快適に過ごせることは、必ずしもイコールではない。
木下さんのケースは、ちょっとしたズレが積み重なった話だ。でも、そのズレに気づけるかどうかは、自分では案外わからないものである。
もし最近、なんとなく同乗を誘いづらい雰囲気になってきたな、と感じることがあるなら…一度、助手席に座った人の表情を、さりげなく確認してみてもいいかもしれない。
<TEXT/maki>
【maki】
ライター・エッセイストとして活動中。趣味は人間観察と読書。取材からエッセイ、コラムまで幅広く執筆している

