あぶくま洞開洞よりも前からこの地に。滝根の観光とともに歩んできた老舗『そば処 白友』

あぶくま洞開洞よりも前からこの地に。滝根の観光とともに歩んできた老舗『そば処 白友』

田村市滝根町のシンボルであり、全国から多くの人が訪れる観光名所「あぶくま洞」。 そのあぶくま洞が開洞する前から滝根町に店を構え、開洞後は訪れる観光客を食事でもてなしながら、半世紀以上にわたって地域とともに歩んできたお店があります。

店の名は「そば処 白友(はくゆう)」。

昭和46年の創業以来、手打ちそばやうどん、地元の食材を活かした料理を提供し続けてきた白友さん。昭和48年にあぶくま洞が開洞してからは、滝根を訪れる人たちのお腹と心を満たす食事処として、観光のまちのにぎわいを支えてきました。建物は創業当時の趣を今も残し、中へ入ると、どこか懐かしく落ち着いた空気が広がります。広々とした店内にはテーブル席や座敷席が並び、観光で訪れる方はもちろん、家族連れや地元の方もゆっくりと食事を楽しめる空間になっています。

今回は、そんな「そば処 白友」さんに伺い、お店の歴史や味へのこだわり、そして地域への想いについてお話を伺ってきました。

地域のために奔走した先代の想い

白友さんの歩みを語るうえで欠かせないのが、先代の存在です。お店を立ち上げた先代の白石照之さんは、地元の町議会で議長を務めたこともある、地域に深く関わってきた方でした。お話を伺う中で印象的だったのは、先代の照之さんが「自分の店を繁盛させたい」という思いだけではなく、「この地域に人が来てほしい」「あぶくま洞周辺をもっと盛り上げたい」という気持ちを強く持っていたということです。 あぶくま洞を訪れる人が増えること。 滝根町に人の流れが生まれること。 その流れの中で、食事を通して人を迎えること。 白友さんは、ただ料理を提供するだけのお店ではありません。あぶくま洞とともに滝根を訪れる人を迎え、観光のまちを“食”で支えてきた場所でした。

突然の代替わりと、震災の試練を越えて

現在お店を切り盛りしているのは、2代目の白石剛社長。高校卒業後、東京のホテルなどで飲食の経験を積み、いずれはお店を継ぐことを考えていたそうです。しかし、先代が急に亡くなられたことで、剛社長は突然の代替わりを迎えることになりました。 親が築き上げてきた看板と味を引き継ぐこと。 地域に長く愛されてきたお店を守ること。 その重みは、決して小さなものではなかったはずです。それでも剛社長は、先代照之さんから受け継いだ想いを胸に、白友の味とお店を守り続けてきました。

さらに、東日本大震災の際には大きな試練もありました。あぶくま洞や入水鍾乳洞を訪れる人が大きく減り、観光客を中心に成り立ってきた白友さんにとって、非常に厳しい時期だったといいます。それでも、歩みを止めることなく営業を続けてきました。観光に支えられてきたお店だからこそ、人の流れが止まった時の大変さも知っている。それでもこの場所で営業を続けてきたからこそ、今もまた滝根を訪れる人たちを迎えることができています。幾多の困難を越えてきた強さが、今の白友さんには静かに根付いています。

配信元: Nativ.media

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