◆若くして夜の世界へ飛び込んだワケ
――高校受験は……。成澤:一応、中学の卒業式の前には通学できるようになったんですよ。行ってみると、みんな仲良くしてくれていい子たちで。ただ出席が少なすぎて内申点も足りなくて。不登校の子でも通えると地元で言われている高校があって、そこを受験することにしたんですが、なにせ生意気だったもので……。
――どんな粗相をしましたか。
成澤:面接で、「ちょっと髪の色が明るいけど」と指摘されたんです。そこで私はあろうことか、「人を見た目で判断するんですか?」と面接官に喧嘩を売って(笑)。そのセーフティネットみたいな高校すら落ちました。それで中卒で浪人して、塾に通って1年間勉強して、普通科の高校に入ることができました。
――よかったです。
成澤:国語だけは成績がよくて、学年2位とかだったんですよ。でも結局、つまらなくなって3カ月くらいで退学してしまいました。その後は定時制とかも行ったんですが、続かなかったですね。要するに、中卒です。
――そのあとの職歴は。
成澤:おもに夜職が多かったですね。早めにお金を稼いで、顔に課金しようと思いまして。やはり見た目は重要だと感じるので、若いうちに顔に投資したいと思ったんです。ただコロナ禍以降は、特に長野県では出勤さえできない状況が続いて、内装業の仕事に従事していた時期はあります。
◆言語障害が出た父に思うこと
――現在、ご家族の仲はいいのでしょうか。成澤:関係性は良好ですね。ただ、つい最近なのですが、父が脳出血によって救急搬送されてしまって。地形的な事情から、救急ヘリで搬送されたようです。父はだいぶ前からアルコール依存症になってしまった印象があって、非常に心配していた矢先だったんです。ストロング缶と呼ばれる、アルコール度数が高くて量も多いチューハイを1日に5本くらい空けるのが常だったんです。それで言語障害が出てしまいました。本当は、祖父の会社が潰れてしまった経緯なども私は何も聞かされていないので、聞きたかったのですが……。今は叶わないですね。一命を取り留めることができた点はよかったと思っています。
――今後のご活動について教えてください。
成澤:よく「インフルエンサー」と紹介されることがあるんですが、自分ではそう思っていないんです。ただちょっとフォロワー数が多いだけの、一般人なので。数字のために何でもするようなしゃかりきな生き方は嫌だし、大きな数字を持ってイキるのも違うなと思っていて。私は私のまま、興味のあることができたらいいなと思っています。
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成澤さんが話すと、とんだ災難もなんでもないことのように聞こえるから不思議だ。自分の身に降り掛かったことで精一杯な人が多い時代に、まるで彼女が軽やかで涼しげな風を吹き込んでくれるようだ。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

