発端は、ある利用客のX(旧Twitter)への投稿です。「JetBlueは大好きだけど、チケットが1日で230ドル(約3.5万円)も値上がりするのはおかしい。葬式に行こうとしているだけなのに」
これに対してJetBlueの公式アカウントは、こう返信しました。「キャッシュとCookieを削除するか、シークレットウィンドウで予約してみてください。お悔やみ申し上げます」
Cookieやキャッシュとは、どのページを何度見たかをブラウザに残す「閲覧の足あと」のようなものです。つまり公式が「足あとを消せば安くなるかもしれない」と言ってしまった。客の閲覧履歴で値段を変えているのではないか、という利用者の長年の疑惑を、企業自身が認めたように見えたのです。
◆■航空会社の“うっかり返信”が全米を炎上させた
返信はすぐに削除されましたが、スクリーンショットは拡散し、わずか4日後には「閲覧データで価格を吊り上げていたのではないか」として集団訴訟に発展。JetBlue側は「個人情報や閲覧履歴で価格は決めていない。返信は一人の担当者のミスだった」と全面否定していますが、騒動は収まっていません。こうした手法はアメリカで「サーベイランス・プライシング(監視価格)」と呼ばれます。AIが「この人はいくらまでなら払うか」を計算し、その人専用の値札を作る仕組みです。

そう、今アメリカで起き始めているのは、AIがデータをもとに、一人ひとりに違う価格を提示する時代なのです。
◆■「1人ひとりの値付け」は企業の長年の夢
そもそも、なぜ企業は「人によって違う値段」をつけたいのか?答えはシンプルで、同じ商品でも「払ってもいい金額」は人によって違うからです。あなたが「1万円までなら出す」と思っていた商品を8千円で買えたら、2千円得した気分になりますよね。企業から見れば、その2千円は「本当は取れたはずのお金」です。一人ひとりに、その人専用の値段を付けられれば利益は最大になる。これは企業にとって100年来の見果てぬ夢でした。
実は、人によって価格を変える工夫は昔からあります。学割やシニア割は「学生や高齢者は払える額が少ない」という属性で割り引く仕組みです。航空券が出発日に近づくほど高くなるのも同じで、「直前に買う人は急いでいて、高くても払う」ことを見越した値付けです。葬式で急に飛行機が必要になった人が高い運賃に直面しやすいのは、まずこの昔ながらの仕組みのせいです。
ただし、こうした仕組みはどれも「同じ条件の人には、同じ価格」というルールで動いていました。直前に買えば誰でも一律に高いし、学生なら誰でも同じ割引です。企業には、あなたという個人が「いくらまでなら払うか」を知る方法がなかったからです。
その限界を壊したのがAIとデータです。閲覧履歴、検索の回数、住んでいるエリア、過去の買い物。米議会の調査では、企業がこうしたデータから消費者の「感情状態、購買意図、支払い可能な上限額」まで割り出しうると指摘されました。要するに「急いでいる」「迷っている」「最後は結局買う」といった心の中まで、です。
JetBlueに向けられた疑惑も、まさにここでした。同じ便を何度も検索した履歴から「この人は事情があって、必ず買う」と見抜き、その人にだけ高い価格を出していたのではないか、と。ルールが「全員向け」から「あなた個人向け」に変わる。これが決定的な違いです。
つまり監視価格の正体は、AIがあなたのデータから「いくらまでなら諦めずに払うか」を推定し、その上限すれすれまで値段を引き上げる仕組みです。あなたが「高いけど、仕方ない」と思う、その一線を狙ってくる。技術の暴走ではなく、企業が昔から見ていた夢が、AIでようやく実現可能になったのです。
その代金を払うのは消費者です。Instacartの調査では、価格のばらつきが積み重なると4人家族で年間約1200ドル(約18万円)の負担増になりうると試算されています。サブスクのように毎月請求書が届くわけではありません。だから気づかない。少しずつ、静かに、あなたのお金が消えていくのです。


