◆「可愛い」が苦しかった。女性として見られることへの違和感

雄乃:女性社会の中で、そもそも生きづらさを抱えている女性ってたくさんいると思うんですけど、私はその中の1人の可能性もあるな、と今となっては思っているんです。その生きづらさが私の場合は顕著に出ていたのかな、という見方もできるんですよ。だから、女性として生きることがとりあえず無理で、私の選択肢に男性と女性しかなかったので、「じゃあ男性に行くか」という感じで進んでいったのかなと、まあ可能性の話ですが。
――一概には言えないんですがトランスジェンダー男性の中には、容姿も男性に近づけたり、ホルモン注射で声も男性風にしたりする方がいますが、そういうことはしなかったんですか?
雄乃:高校生、大学生のときは男性として生活をしていたので、そっちの方向にいっていた時期もあります。私が男性として生活する前から、「可愛い」と言われるのがすごく苦手で、とても嫌悪感を持っていた言葉だったんです。でも、人から「可愛い」と言われて、悲しくて苦しくなるよりは、もう自分からその苦手なものに近づけていこう、という思考が生まれたんです。だから、自分を可愛くすることによって「可愛いって言われるのは当たり前だな」と思えるように、男性として学ランを着ていたときも、「可愛い男子であろう」と思っていました。
――女性的な扱われ方での「可愛い」は嫌でしたか?
雄乃:女性性に対する「可愛い」は嫌でしたし、すごく苦しかったです。私が学ランを着て男性性を示そうとしている中で、「女」と言われたり、「可愛い」と言われたりするのが嫌だから、可愛い男子に寄せていったという感じです。
――そのときは、可愛い男子として「可愛い」と言われるのはよかったのですか?
雄乃:私があえてそのポーズをとっているので納得していました。だから私は自分に「可愛い、可愛い」とずっと暗示をかけていたんです。
――また昔の話になりますが、小学校・中学校では容姿が女性だったじゃないですか。恋愛対象というのは?
雄乃:性的にムラムラした相手は男性でした。保育園の頃、お昼寝の時間にちょっかいを出していた相手は男子なんです。でも、小学3年生のときに、お風呂に一緒に入って性器を擦り合わせて遊んでいたのは女子なんですよ。だから、子どもの頃は性的にムラムラして、気持ちよければなんでもよかったんだと思います(笑)。
◆今は男女とかではなく「私」
――男性性、女性性が行ったり来たりする感覚はあるのですか?雄乃:今も当時も、それはないですね。自分の肉体を男性に近づけようとしたとき、自分の胸や女性器に対してすごい嫌悪感を持ったんですけど、可愛いを受け入れてからは美を追求したり、気持ちよくなるためやお金を稼ぐためにも女装をしました。これを他者から見たら、行ったり来たりしているように見えるかもしれませんが、私としては性表現(社会的性)は変えても心の性と言われるものは、あまり変わってないんです。今は男女とかではなく「私」として自認しているんです。
――性行為のときは女性の身体として、女性器が感じるんですか?
雄乃:女性器は感じます。元々女性器なので、女性器が男性器を求めるのは生理現象としてしょうがないっていう発想になったんです。それに、性自認と性的指向は別件の話なので、私がゲイであろうとレズであろうと、私の性自認の前提には関係がない話ですね。
――混乱しますね。
雄乃:前提として、性自認と性的指向は別。別というのが、もうこの界隈の前提となっています。
――混乱してきたので、再び整理すると性自認は男性ですよね?
雄乃:はい、高校生と大学生の男性として生活してたときはそうでした。
――でも、性的思考は男性でも女性でもなくて、女性器を使うんですか?
雄乃:女性器が自分の体にあることは、もちろん重々承知しています。でも、そのことに嫌悪感を抱き続けていても、自分が苦しいだけですし、生きづらさも変わりません。だったら、どうすれば自分が少しでも楽に生きられるのか、そう考えるようになったんです。だから、女性器があることを積極的に受け入れたいわけではないけど、ずっと苦しみ続けるよりは、その現実を自覚したうえで、変えられるものは変えて、変えられないものはそのまま受け止める。そういう考え方になっていったんですね。

