◆「離脱したメンバーを見返したい」事業撤退の危機を乗り越えた原動力

また、建築業界では女性の現場スタッフが珍しく、調査や打ち合わせの場で苦い経験をすることも少なくなかった。
同行する男性の後輩ばかりに話が向けられ、自分とは目さえ合わせてもらえない。
そんな対応をされるたびに、「女性だから」という見えない壁を強く実感していたと矢部さんは言う。
「当時の私は経験も浅く、自信を持って説明できていなかった部分もあったと思います。それでも、同じお客様のもとへ何度も足を運び、現場でコツコツと成果を出していくうちに、少しずつ信頼を積み重ねていきました。場数を踏むことで知識もつき、今では性別に関係なく“一人の専門家”として見ていただける機会が増えています」

しかし、後輩の育成に関してはかなり苦労したと言う。
「当初は後輩育成の進め方が分からず、まさに手探りの状態でした。メンバーの離職が相次ぎ、新たに人が加わっても入れ替わりが続くなど、安定した体制を築く難しさを痛感する日々が続きました。本当に一時は私ひとりになってしまい、事業の存続について決断を迫られたこともあったんです。
ですが、『ここで挫折せず、離脱したメンバーを見返したい』という強い思いが原動力になり、継続していく決断をしました。この苦難を乗り越えた経験が、現在の強い責任感へとつながっています」
どんな困難に直面しても、前向きに進み続ける矢部さんの背中は、いつしか周囲の心を動かしていった。その姿勢に共感し、「自分もやってみたい」と入社を希望するメンバーが現れたことで、ロープアクセス事業を再建させる大きな推進力となったのだ。
◆「親子2代で万博に携わる」という重圧は、想像以上に大きかった
そして昨年の大阪・関西万博では「パナソニック パビリオン〈ノモの国〉」の膜設置工事を担当するなど、国際的なイベントの舞台裏を支える大仕事を成し遂げた。しかし、2025年の正月明けに工事がスタートする予定だったものの、矢部さんは「年末年始も緊張感で、全く休んだ気がしなかった」と当時を振り返る。
そこには、大役に挑む大きな期待と同時に、底知れないプレッシャーを感じていたからだ。
「実は私の父も1970年の万博で補修作業を経験しており、親子2代で歴史的行事に携わるのは本当に嬉しく感じました。その反面、万博という大舞台を背負う重圧も半端なものではありませんでした。
大手ゼネコンとの取引や東京の業者との連携、特殊な構造物でのロープ作業など、本当に初めて尽くしの挑戦でしたし、『本当に納期に間に合うのか』という焦りもあるなど、相当な緊張感を抱えたまま施工が始まったんです」
案の定、現場は初日から混乱を極めることとなる。

さらに、「休日は作業不可」という制約も重なり、時間的にも極めて厳しいスタートだったそうだ。
「打開策となったのは、現場メンバーの一人が見出した『施工方法の体系化』でした。設計側の方針を汲み取り、取り付け手順のルールを正しく理解したことで、次第に現場全体の足並みが揃ってきたんですね。
それが突破口となり、これまでの遅れを取り戻すように1日60〜70枚のペースで進められるようになりました。その結果、最終的にはなんとか納期に間に合わせることができたんです」
こうして万博の大舞台をやり切った矢部さんだが、その視線はすでに未来へと向いている。彼女がリーダーに就任して以来、ロープアクセス事業の売り上げは3倍に跳ね上がるなど、組織は着実な成長を遂げてきた。
今後はさらなる組織拡大と技術向上を目指し、「この事業を会社の新たな柱として、さらに大きく成長させていきたい」と展望を語る。
修羅場を乗り越えてきた“ロープアクセス女子”の挑戦は、まだまだ続いていく。
<取材・文/古田島大介>
【古田島大介】
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

