父が亡くなり、ついに社長になった兄
68歳の春、父・隆一さんが心筋梗塞によって急逝しました。葬儀には取引先の経営者や銀行の支店長、協力会社の職人たちなど、何百人ものもの参列者が訪れ、焼香の列は途切れませんでした。健二さんは、父がどれほど多くの人から信頼されていたのかを改めて知ることになります。
しかし、悲しみに浸る間もなく、翌日から会社は動かなければなりませんでした。建設業において現場を止めることは許されないからです。
「健一さんが継がれるんですよね」「先代も安心でしょう」
周囲に異論を唱える人はいませんでした。事実、健一さんは入社以来、営業として数多くの新規案件を獲得しており、取引先からの評判も決して悪くなかったのです。
1ヵ月後、健一さんは43歳で正式に代表取締役へ就任。兄は父とは違うタイプの経営者だったものの、就任当初は会社の雰囲気も悪くありませんでした。「攻めなければ会社は成長しない」をスローガンに掲げ、先代の時代には付き合いのなかった大手企業へ営業をかけ、新しい案件を次々と受注していきます。社員のあいだでも「新社長には勢いがある」と好意的な声が上がっていました。
確かに売上高は伸びていきました。しかしその裏側で、組織の歪みが進みはじめます。利益率の低い案件でも売上欲しさに受注し、経験のない新規事業へも積極的に投資を敢行。さらに社内のDXも一気に推し進めました。これらは経営手法の一策としては間違いではありませんが、問題はそのスピードと社内への説明不足にありました。
会社の体力や社員の処理能力を超えて、変化だけが速すぎたのです。見かねた古参の役員が役員会で「健一くん、少し立ち止まって状況を確認してはどうか」と進言したものの、健一さんは首を横に振りました。「それじゃ遅いんです。父のやり方を続けても、この会社は大きくなりません」。社長である健一さんの主張以上の反論をする者は社内にいませんでした。
兄の経営の真実…「このままでは会社が潰れます」
父親が亡くなって半年ほど経ったころ、健二さんの携帯電話が鳴りました。相手は、父親の代から20年以上会社を支えてきた経理部長でした。
翌日、駅前の喫茶店で向き合った経理部長は、以前よりもひどくやつれて見えました。
「突然申し訳ありません。本来なら社外の方へお見せする資料ではないのですが、このままでは会社が危ないんです」
