その中で何度も目にした悲しい場面があります。それは「うちは財産が多くないから、相続でもめることはない」と話していたご家族が、相続をきっかけに関係を壊してしまう姿です。
特に多かったのが、相続財産5000万円前後のケースでした。
相続で争う原因は、財産の額ではありません。家族の中で長年積み重なってきた思いや価値観です。
退職した今だからこそ話せる、銀行で見てきた「争族」の現実をお伝えします。
◆父の突然の死…5000万円の遺産で始まった「争族」

そんな場面を、私は何度も見てきました。
父が亡くなり、葬儀を終え、家族が実家に集まります。
最初は故人を偲び、思い出話をしていた兄弟姉妹も、遺産の話になった瞬間、空気が変わります。
「父の財産は全部で約5000万円」
決して資産家ではありません。誰もが「これくらいなら、家族で話し合えば大丈夫」と思っています。
しかし、その考えとは裏腹に、「誰が何を相続するのか」という一言をきっかけに、それまで胸の奥にしまっていた思いが次々とあふれ出していくのです。
◆「長男が多くもらうべき」家族の主張がぶつかり始める
「長男なんだから、多く相続するのが当然だろう」その一言で、穏やかだった話し合いの空気が一変します。
これに妹はすぐに反発しました。
「どうして長男というだけで多くもらえるの。父の介護をしてきたのは私だよ」
通院の付き添い、買い物、食事の準備、夜中の連絡。何年も生活の一部を削って父を支えてきたという思いがあります。
一方で長男にも、実家を守ってきた、親族との付き合いを続けてきたという言い分がありました。
どちらも、自分の主張が正しいと思っています。
さらに話を複雑にしたのが、生前贈与でした。
「兄さんは家を買う時、父から何百万円も援助してもらったじゃないか」
「それは相続とは関係ない」
「私は何ももらっていない。今になって平等に分けるのはおかしい」
過去のお金のやり取りまで持ち出され、話し合いは遺産の分け方ではなく、兄弟の間に積み重なってきた不満をぶつけ合う場へと変わっていきます。
誰も最初から家族と争いたかったわけではありません。
ただ、自分だけが損をしている、自分の苦労を分かってもらえていない。そう感じた瞬間から、相手の言葉を冷静に聞けなくなってしまうのです。
何度話し合っても結論は出ません。
電話をしても言い争いになり、次第に連絡そのものを避けるようになります。
そして、ある日突然、一通の内容証明郵便が届きます。
差出人は、兄弟本人ではありません。依頼を受けた弁護士です。
「今後の連絡は、すべて代理人を通してください」
その書面を読んだ瞬間、家族の関係は決定的に変わります。
それまで名前で呼び合っていた兄弟が、書面の上では「相手方」になる。電話もできない。直接会って話すこともない。法事や親族の集まりでも顔を合わせなくなる。
相続財産は約5000万円でした。
しかし、家族が本当に失ったものは、そのお金ではありません。
何十年もかけて築いてきた兄弟の関係と、父との思い出を一緒に語れる家族そのものだったのです。

