「SNSを取り上げろ」なぜ山田五郎氏の訃報で“フライング追悼”が相次いだか?著名人の死を消費する「承認欲求の暴走」とは

「SNSを取り上げろ」なぜ山田五郎氏の訃報で“フライング追悼”が相次いだか?著名人の死を消費する「承認欲求の暴走」とは

◆ファクトすら危ぶまれる「フライング報道」

 そして、公式発表より前に追悼をするということは、そもそもファクトに対する疑問が生じます。たとえばエリザベス女王の動静についてタブロイド系メディアやインフルエンサーが思わせぶりな投稿を繰り返してきたことが問題となりました。

 また、ロックミュージシャンのトム・ペティが危篤状態に陥った際にも、CBSニュースなどのメディアが、まだ存命であったにもかかわらずフライングで死亡報道を流したことで批判を集めたこともありました。

 これは、その人物の生死に価値がある、もっといえばカネになるという身も蓋もない現実をあらわしているとも言えるのですが……。

◆「自覚」が線引きになる

山田五郎さんがお亡くなりになった。
享年67歳。
🙏合掌🙏

YouTube「大人の教養ちゃんねる」での芸術談義はpandemicの鬱々としていた期間、救いでした。
僕の京都,京セラミュージアムでの個展の時に、トークショーに出席していただいて、お話をして頂いた。… pic.twitter.com/kvgjjNfK3W

— takashi murakami (@takashipom) July 22, 2026


 このように、今回の山田五郎氏と海外の事例に共通することは、程度の差こそあれ、著名人の死は無惨にも消費される、ということです。

 これはどれだけ慎重に慎重を期して、公式発表まで待ち、遺族に配慮して慎ましやかに振る舞ったとしても、SNSなどで追悼文を記したり、故人との思い出の写真をアップしたりする行為は、究極的には死者を消費していることに他ならないからです。

 では、ぬけぬけとフライング投稿をした人たちと、公式発表まで待って追悼をした人たちとの違いはどこにあるのかと言えば、自らの行為が死者を消費している自覚があるかどうか、という点なのではないでしょうか。

 だとすれば、そうした内心の自覚は、法律によってコントロールすべきものではなく、結局は自らの尊厳に、どのような誓いを立てるかという生き方の問題に帰結するのでしょう。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。X: @TakayukiIshigu4
配信元: 日刊SPA!

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