「本気でいってるのか?」…思わず手が出た父
食卓は一転、重たい空気に。「本気でいってるのか?」と阿部社長は、確認しました。
「なんのために育ててきたと思ってるんだ」。気づけば、そんな言葉がこぼれていました。恵理さんも負けじといいかえます。
「……私のことなんだと思ってるの? 私はお父さんの会社のために生まれてきたんじゃない!」
その瞬間でした。阿部社長の手が、恵理さんの頬を打ちました。妻が慌てて2人のあいだに入ります。
「もういい」。そのまま、恵理さんは家を出ていってしまいました。
後継者は“空席”のまま、迫る「決断のとき」
恵理さんが家を出てから、半年が過ぎました。何度連絡しても、返事が来ることはありません。
会社ではなにごともないように振る舞っていましたが、現実は待ってくれません。阿部社長は59歳になり、取引先や金融機関から後継者を尋ねる声が増えていきます。
「阿部社長、後継者の件は順調でしょうか」「社長。私もあと何年かで引退します。その前に、次の社長の顔だけは見届けたいと思っていまして」
そのたびに、言葉を濁すしかありません。「誰が継ぐのか」「この会社をどうするのか」という答えを示せないことが、阿部社長自身だけでなく会社のリスクになりはじめていたのです。
ある夜、阿部社長は一人、人気のない工場を歩いていました。若いころから人生を懸けて守ってきた場所です。そこでふと、恵理さんの言葉が頭をよぎりました。
「私はお父さんの会社のために生まれてきたんじゃない」
あのときは、娘に会社を侮辱されたように感じました。しかし、いまは違います。
「社員を守る方法は、本当に親族承継しかないのか?」。そう、初めて自分自身に問い掛けました。
