「正直、目を疑いました。長年一緒にやってきて、最後が手紙一枚なのかと……。このまま黙っていれば、退所後に何を言われるかわからない。こういう話を表でするのは躊躇しましたが、実際にあったことをきちんと話しておきたいんです」

芸能界ではいま、創業世代の「ドン」たちが相次いで現場を退き、二代目の時代に入った。それと歩を合わせるように、古参タレントの独立を巡るトラブルが頻発している。バーニングも、その渦中にある。
◆弁護士を立て独立トラブルに発展
彰悟氏が懸念を隠さない相手——藤あや子は、1987年にデビューし、1992年の「こころ酒」が大ヒット。同年のNHK紅白歌合戦初出場から21回の出場を数える、演歌界を代表する歌手だ。そんな藤氏が事務所の処遇に不満を漏らし始めたのは、昨年のことだった。
「ご存じの通り、父(周防郁雄氏)が体調を崩し、私が経営を引き継いだのが一昨年の12月。藤さんは代替わりした当初こそ、『これからも頑張ります』なんて風に言っていたんです。それが突然、代理人弁護士を立てて『不当に搾取されている』と妄言をまき散らし始めた。事務所の取り分が多すぎるとか、音楽番組の出演料がないとか……本当に藤さんがこんなことを言うのだろうか。僕には何がなんだか、わかりませんでした」
そもそも、藤氏サイドが提示してきた数字からして間違っていたと彰悟氏は語る。調べたところ、藤氏の売り上げは約4000万円。料率は藤氏が8に対して、バーニングが2だったというのだ。
「当初、藤さんは『半分も事務所が持って行っている』と主張していたのですが、きちんと調べたら8対2の割合でした。業界の相場より好条件のはずで、マネジャーの人件費や車代を入れれば事務所の利益は限りなくゼロに近い。売り上げも経費も全部ご本人と代理人に開示し、『計算に違いがあるなら、いつでも修正して支払います』とも伝えています。こちらとしては、誠意を持って対応していたつもりでした」
ところが、事態は暗転していく。彰悟氏と弁護士との協議が続く中、藤氏から届いたのが冒頭の一方的な「退所通告」だった。
「毛筆で書かれた丁寧な文面でしたが、退所日を7月18日と自ら指定し、『ご了承ください』と結んでいました。協議したいといった内容ならまだ理解できますが、あまりに一方的で……。藤さんの弁護士にどういうことなのか訊ねても、彼も驚いていて。手紙を出したことすら知らなかったんです」
◆交渉の最中にかかってきた文春からの電話
そこからも不自然なことが続いた。彰悟氏が語る。「藤さんから手紙が届いてほどなくすると、今度は週刊文春の記者から電話がかかってきました。曰く、『ギャランティーは約半分も事務所が搾取』『テレビ出演は取り分ゼロ』『独立したら、藤あや子の芸名は使わせないと私(彰悟氏)が周囲に話している』と。先に述べた通り、藤さんとの料率は8対2ですし、音楽番組はプロモーションとして出るのでギャラがないのは業界の慣例。独立したら芸名を使わせないなんて、もちろん私は言っていません。さらには『藤さんが飼っている保護猫グッズの権利まで取り上げようとしているのか?』とまで記者に聞かれて、呆れるよりほかありませんでした。私は藤さんが保護猫を飼っていることもグッズを販売していることも、この件が起きるまで知らなかったのでグッズの権利なんて主張しようもないんですから。そこまでして私を悪者に仕立てたいのかと、強い悪意を感じました」
不信感が募る中、彰悟氏はついに藤氏とのテーブルについた。7月初旬のことだ。そこでは双方の弁護士が同席したうえ、退所の条件について合意を果たしたという。
「芸名についてもどうぞそのままお使いください、とお伝えしました。藤さんが長年の功労者であることは事実ですので、私としては『去る者追わず』の姿勢で気持ちよく送り出したかったからです。ただ……あとは調印するだけという段になって、藤さん側のレスポンスが悪くなった。話が前に進まないどころか、藤さんの弁護士はまた週刊文春から藤さんに宛てた質問状を私に見せてきたりと、妙なことばかり起きるのです。1か月がたった今も合意書への進展がなく、不思議な感じがしています。藤さんの退所後、こちらが何を言われるかわかったものではない。この状況に強い危機感を覚えているんです」
藤氏の真意はどこにあるのか。代理人弁護士に取材を申し込んだが、期限までに回答を得ることはできなかった。

