みなさんは「学歴があれば地頭がよい」と思いますか?
高学歴ならば地頭が良いとする言説は、近年急激に発展しているように見えます。
SNSでは、いつも「低学歴(高学歴)とは話が合わない」とか「低学歴(高学歴)のくせに~」と互いを貶めるような投稿が炎上しています。
先日も「低学歴なのに、勉強や読書が好きなのは意味が分からない。(低学歴には)複雑な物事を理解できる知能がないからだ」というポストが賛否を呼びました。
学歴と地頭の結びつけは極まりつつあり、最近では「就活では、履歴書の大学ではなく高校を見られる。なぜなら、高校名に地頭が現れるからだ」という暴論すら出る有様。
「学歴第一」を掲げたいがゆえに愚論をもてはやしてしまう。これは、もはや「逆学歴コンプレックス」と呼んでも差し支えないでしょう。では、どうしてこのようなコンプレックスが引き起こされるのでしょうか?

◆受験は「真面目さ」のレース
私は、学歴と知能がすべて相関しないと考えています。そもそも、受験は頭の良さを競うレースではありません。あれらが測っているのは、「お行儀の良さ」。受験とは「まじめに、お行儀よく、言われたことをこなせるかどうか」を問う関門でしかないのです。
受験で受かるには、様々な知識や考え方を詰め込む必要があります。つまり、「詰め込めれば受かる可能性が見える」わけです。詰め込めれば、バカでも受かるのが受験です。
とはいえ、詰め込む能力があることは、「頭がいい」かもしれません。
ただ、脳みその基礎スペックを純粋に議論したいなら、「どの程度の期間でどれほどの量をやったのか?」「どこまで自分で進捗管理をしたのか?」なども気にするべきです。
極論、100年あれば、1日1ページずつ勉強しても東大程度なら受かる知識を詰め込むことは可能なのですから(復習が増えるので逆に難易度が上がるかもしれませんが)。
◆「受験は納期」
かつて、私の恩師であり、「日本一生徒数が多い社会科講師」として名高い伊藤賀一先生は、「受験は納期である」と仰っていました。つまり、「締め切りまでに必要な準備ができた人から受かっていく」のだというのです。
だからこそ、「余裕をもって準備をする」ことが一番の対策になります。1年で準備するのがしんどいなら2年で、それもだめなら3年かけて準備すればいいのです。
肝心の「詰め込む方法」は本屋に行けばいくらでも手に入ります。Googleの検索窓に「勉強法」と打ち込めば、「東大式○○」「結果が出る○○」など、選択肢がありすぎて困るぐらいでしょう。
私もかつて『東大式節約勉強法』(扶桑社)を上梓しましたが、これに対しては批判も数多くありました。
一番多かったのは「当たり前のことしか書いていない」というもの。母校にはこのような方法論がなく、「車輪の再発明」をしてしまったわけです。
この時、私は2つの感想を抱きました。
ひとつは「エリートらしき人が口をそろえて当たり前というのだから、自分は正道を進んでいるらしい」ことへの安堵。
もうひとつは「この勉強法が元から与えられている(らしい)進学校で、どうして志望校に合格できない人が出るのか?」という失望でした。
学歴がランクを決めるというならば、地方無名校からの合格者のようなジャイアントキリングはそう起こらず、一部進学校が大半を独占して然るべきなはず。それも、「数百人が受けて半数が落ちる」ような悲劇がどうして起こるのでしょうか。
「東大進学者ランキングは特定の10校からの進学者が全体の20~30%を占める」と言われますが、私は「その環境が揃っていて600人やそこらしか合格できないの?」と感じるのです。
東大合格者数トップの開成ですら、多くて学年400人中の200人程度の合格に終わる。
東大以外の受験者を考慮しても、あまりに数字が低すぎる。寡占と読み取りがちですが、本当はむしろ「怠慢」に近い状況なのではないでしょうか。

