「地方のドン」は競争と監視を欠いた仕組みが生み出す
まずあげられるのは、競争の不在だ。
地方議員は、とくに近年はなり手不足も響き、多選と無投票当選が珍しくない。蔵内議長も10期のうち、その多くが無投票での当選だ。
総務省の集計によれば、2023年の統一地方選の道府県議選では、無投票で当選した議員が565人にのぼり、改選定数の25.0%を占めた。
選挙という入れ替えの装置が働かなければ、権力は特定の人物に集中するのは当然だ。新陳代謝が止まった議会は、ドンにとって居心地のよい住処となる。
加えて、地方議会にありがちな二元代表制の空洞化もドンを育てやすい。
首長と議会は本来お互いを牽制し合うものだが、現実の地方政治では、オール与党化する協調型の構図が広く見られる。
議会が執行部の追認機関と化せば、予算や人事、公共事業の差配に食い込む与党会派の実力者が、実質的な決定権を握ることになる。首長の側も、その意向を無視できなくなる。
加えて、地方議会の報道は手薄で、議員に支給される政務活動費の使途も見えにくいことによる、監視の空白があげられる。
全国市民オンブズマン連絡会議の評価では、都道府県・政令市などの情報公開のマニュアルは100点満点で平均20点にとどまるとされ、ガラス張りには程遠い。
競争がなく、監視が届かず、配分の権限が一点に集まり、しかも中央と地元の双方に足場を持つ――ドンは、こうした空気の中で育つ。
ドンは、1人の政治家の資質ではなく、競争と監視を欠いた仕組みが生み出す。
そして今回、福岡県で起こっているのは、「地方のドン」による膠着化した権力構造が呼んだ疑惑である。
そして、こうした「地方のドン」を育む環境が、福岡県に限ったことではないからこそ、一連の疑惑の真相を明らかにするべきだろう。