単独機の事故としては世界で最も多い520人が犠牲になった日航ジャンボ機事故から、2026年8月12日で41年を迎えた。日本航空(JAL)は10年以上にわたり、事故が起きた8月12日前後に、公式Facebook(フェイスブック)で犠牲者を追悼し、安全運航への決意を新たにするメッセージを発信してきた。

ところが、41年目となる26年は、そのようなメッセージは投稿されなかった。この背景には何があるのか。節目の40年で「一区切り」だったのか。JALでは、フェイスブック開設から15年が経ち「運用方針について見直している」と説明。安全に向き合う姿勢や取り組みについては「日常的に発信し続けることが重要」だとしている。
FB公式ページは2011年開設、8月12日に整備責任者が「忘れられない日」
1985年8月12日、羽田発大阪(伊丹)行きJAL123便(ボーイング747SR-100型機)は、群馬県上野村の山中に墜落した。乗客509人、乗員15人の計524人が搭乗し、520人が死亡、4人が重傷を負った。
JALの公式フェイスブックは2011年に開設され、ほぼ毎年8月12日に合わせたメッセージが掲載されてきた。
11年は、整備責任者の佐藤氏が、
「本日8月12日は日本航空の全社員にとって忘れられない日であり、とりわけ整備に従事するもの全員が『安全』について今一度その思いを再確認する日でもあります」
と投稿。事故から26年が経過したことに触れ、整備部門の安全への取り組みを説明した。
12年の投稿は確認できない。13年は、空港本部長だった丸川氏名義の繁体字中国語による投稿が、国外向けのフェイスブックページに残っているが、これに対応する日本語版は確認できなかった。14年以降、25年まで毎年投稿が続いた。
事故翌日のフライトは「足は震え、管制との通信の声もかすれていました」
事故から30年の節目となる15年には、当時の植木義晴社長が長文のメッセージを掲載した。
123便事故を「御巣鷹の尾根に墜落するという大惨事を起こしてしまいました」と振り返り、520人の犠牲者を追悼。自身が事故当時、DC-10型機の副操縦士で、事故翌日のフライトを「足は震え、管制との通信の声もかすれていました」と振り返った。
さらに、御巣鷹の尾根への慰霊登山や清掃活動、安全啓発センターでの研修を挙げ、「現地・現物・現人(げんにん)」を重視しながら事故の教訓を引き継ぐ考えを示した。
16年は客室本部長、17年は整備本部長、18年は副社長、19年は東京空港支店長兼JALスカイ社長が、それぞれの職場や事故当時の経験を踏まえて発信した。
20年は新型コロナウイルスの感染拡大で、慰霊登山や追悼式が例年どおりには行えない状況だったが、赤坂祐二社長(当時)による、事故35年に際した投稿が行われた。
21年はJALエンジニアリング技術部が、データを活用した航空機の故障予測などを紹介。22年には客室本部と運航本部が、それぞれ安全訓練や運航現場の取り組みについて投稿した。
23年は、新入社員による安全啓発センターの見学と慰霊登山を紹介。事故後に生まれた社員が多くなるなかでも、「JALグループ社員一人一人が事故の事実と向き合い」教訓を受け継ぐ必要性を訴えた。