
映画『時には懺悔を』で、過去の過ちに囚われながら生きる探偵・佐竹三雄を演じた西島秀俊さん。いま、俳優として、ひとりの人間として、なにを大切にしながら日々を過ごしているのか。映画への真摯な思いとともに、同世代の読者へ向けた温かなメッセージもお届けします。
「リアルではないこと」を削ぎ落とす。「食べる」「触れる」演技を通して生まれるリアルな空気、感情

映画『時には懺悔を』は、傷ついた大人たちが、小さな命や誰かとの関わりのなかで「支え合い」に気づかされていく物語。西島さんは「台本が本当に素晴らしくて、もしこの作品からオファーがあれば、どの役でもいいから参加したいと思いました」と、本作への強い思いを明かします。
こうして実現した中島哲也監督との初タッグでは、徹底的な「リアリティの追求」に心を打たれたそう。
「リハーサルのとき、感情が高ぶるシーンで声を張って演じようとすると、監督から『ここが静かな住宅街なら、人と人とが言い合うときも周囲を気にして喋りますよね』と演出を受けたんです。単に『激昂するシーンだから大声を出す』演技をするのではなく、そのリアルなシチュエーションを感じて演技する。『映画だから』通用する『リアルではないこと』をできる限り排除していきましょうと言われました」
その場の空気が匂い立つようなリアルな映像のなか、とくに印象的だったのは「食べる」という行為。ここでも監督のこだわりは徹底していました。
「この作品では、生きるということの象徴でもある、『食べる』ことがモチーフのひとつになっていたと思います。だから、都合よく食べる量を調整しながら喋るのではなく、しっかり食べながらセリフを言う。リハーサルでも実際に食事を用意して、何度も繰り返し練習しました。中島監督は『いい画を撮ればいいわけではない』と言われていました。今回の中島組の現場は、美しい映像を整えて撮ること以上に、そこに流れる空気や綺麗事ではない人間のリアルな感情を捉えようとしていたのだと思います」
言葉数が多くはない佐竹ですが、場面ごとの感情は痛いほど伝わってきます。そんな佐竹を西島さんはどう体現したのでしょうか。たとえば妻や娘とのシーン。
「この映画は『触れる』ということも大切な要素になっています。僕が演じた佐竹と妻や娘は、長年、ほとんど会話もコミュニケーションも取れていない関係性です。そんなふたりが触れ合うという場面があるのですが、実際に撮影を重ねてその場面になると、そんなふうに距離を縮めるのは難しいのではないかと現場のみんなが感じました。どうすれば触れ合うことができるのか、監督を含めて現場でじっくりと話し合いながら作っていきました」
一見、重苦しいテーマを孕んだ作品でありながら、西島さんは「決して暗いだけの映画ではなく、希望の光が射す素晴らしい人間ドラマ」と語ります。
「人は誰かを支えているつもりでも、実はその存在に自分自身が支えられているのかもしれない。お互いの関係性のなかで助け合って生きているんだということに、気づくきっかけにしていただけたら嬉しいです」
50代で独立して2年。時間と労力を惜しまず「準備にかけられる」贅沢

今作のように、過酷で感情を大きく揺さぶられる役柄を演じることも多い西島さん。役の感情を引きずってしまうことはないのでしょうか。
「どうしても引きずってしまう部分はあります。だからこそ、1回頭の中をリセットする時間を作るようにしています。ジムで体を動かして汗を流したり、なにも考えずに散歩をしたり。そうやっていまの思考から少し離れる時間を持つことが、僕にとっては大切な習慣になっています」
50代は、体力的・年齢的な変化を感じる世代。それでも、この年齢になったからこその良さも実感していると言います。
「独立してから2年ほど経ちますが、1本1本の作品に対して、丁寧に準備期間を持てるようになり、良いことだと感じています。自分のペースを作り、しっかりと準備をして作品に入る。以前よりも時間と労力をかけられるようになったのは、年齢と経験を重ねて良かったと思うところです」
年齢とともに変わったのは、仕事への向き合い方だけではありません。周囲への感謝の気持ちも、より強くなったと明かします。
「これまで俳優の仕事を続けてこられたのは、間違いなくまわりのたくさんの助けがあったからです。だからこそ、これからは自分が社会や若い世代、現場のみなさんに僕がもらったものを返していきたいという思いが強くなりました。僕が若い頃、先輩方に『好きなようにやりなさい』と自由に演じさせてもらえたように、いまの若い俳優さんたちが自由に演じられることで、魅力的な作品を一緒に作っていけるよう、サポートできる存在でありたいと思っています」
そう語る西島さんの表情からは、包み込むような大らかさと、責任感が自然と滲み出ていました。

