◆40年の営業人生で学んだ、人の縁の大切さ
商業高校を卒業後、長谷さんは大手酒造会社に入社した。「修学旅行で東京に行ったけど合わないなと思ったんで、関西で就職しようと決めました。兄の知り合いの紹介で酒造会社に入社した後、それからずーっと40年以上営業をやってきました」
神戸を皮切りに、東京、大阪、福岡、名古屋などを転勤で訪れ、土地ごとの商習慣の違いを肌で感じてきたという。
「京都の人は建前を見極めないといけなかったし、名古屋では、どれだけ親しくなっても、ある日コロっと態度が変わったりするし、性格はみんな違いましたね」
長い営業人生には、いいことも悪いこともあった。
「いろんな人にお会いしてきましたし、お酒の席では、その人の本性が出てくることもあります。いい人もいれば、そうじゃない人もいました。それも含めて、仕事だったなと思いますね」
中でも印象に残っているのは、こんな出来事だ。
「東京にいた頃は、小売店への法人営業をしていました。その中で、ある取引先の本社の人と親しくなりました。その人が、お酒が好きということで食事に誘ったら、お礼に酒を扱っている店舗のデータをこっそりと渡してくれたんです。その後、一軒一軒回って、うちの商品を置いてもらいました。人にやさしくしていると、いいことがあるんだなあと思いました」
その一方で、狭い業界ならではの怖さも味わった。
「酒造業界は狭いから、噂がすぐに広まります。好かれるのは難しいけど、嫌われるのは簡単です。そうやって嫌な思いをしてきたから、今は分け隔てなく接することを大事にしています」
業界の狭さゆえの実利的な理由はもちろんある。だが、それだけではなさそうだ。人を大事にすること自体が、長谷さんにとって心地いいことなのかもしれない。
「契約した方が『今度、この人連れてくるね』と言ってくれて、実際に紹介してくれる。ほかに、こんな嬉しいことはないと思いますよ。無事に契約になるかどうかの結果は置いといて、そこまでしてくれたことが嬉しいんです」
◆霊園への転身、そして今も元気でいられる理由

「当時は、酒の席に出ることも、立派な仕事のひとつだったんですよ。接待も毎日のようにありましたし、『飲み会には、最低でも3次会までは付き合う』という教えもありました。ただ、ある日参加した3次会で、血を吐いてしまったんです。それから酒は控えるようになって、もうこれ以上は無理だろうと思って、辞めさせてもらいました」
体を張って走り続けた営業人生に区切りをつけた長谷さんが次に選んだのは、花の世話をする仕事だった。もともと花が好きで、家の周りはいつも花が咲いていた。
「今の会社の前社長がご近所さんで、懇意にしていたんです。ある時、『うちの会社を手伝ってくれないか』と誘われて、花の世話係として入社しました」
最初は、苑内の清掃や花の世話をしていたが、やがて埋葬の手伝いも任されるようになった。花の世話と、墓石の管理とでは、勝手がまったく違う。
「墓石の掃除や納骨をする時は、いつも気を張りながらの作業でした。それでもやってこれたのは、その前に苑内で花の世話や清掃などをしていたからだと思います。最初から墓石の仕事だったら、たぶん務まらなかったと思いますよ」
10年ほど経ち、樹木葬の規模が大きくなると、「長谷さんは、この樹木葬のことをよく知ってるから」と言われて、営業を任されることになった。

