災害時に命を救う鍵は、地域による助け合い。共助できる関係づくりを(前編)

災害時に命を救う鍵は、地域による助け合い。共助できる関係づくりを(前編)

大きな災害が発生した時に被害を最小限にとどめるには、「自助」「共助」「公助」の組み合わせが重要だと、よく言われます。
まず基本となるのは、「自助」です。住宅などの建物の耐震化や家具固定、食品などの備蓄や、早めの避難行動など、「自分(自分自身と家族)の命は自分で守る」備えや行動が必要です。それぞれに自助がしっかりとできれば、「救助される人」も少なくなるはずです。
しかし、すべての人が自助の態勢を常に整えておくのは、難しいかも知れません。災害時に、救助や支援が必要になる人は必ずいます。
発災時には、自衛隊や消防、警察などによる救助作業や、自治体等による避難所の開設、救援支援物資の支給、仮設住宅の建設など、国や地方公共団体などの公的機関による「公助」が行われます。
しかし、公助にあたる人たちも、発災時には自身や家族も被災していたり、救助が必要な人が同時にたくさん出て、公的機関の救助に限界をきたすこともあります。
こうした現実がある中で、これまでの大きな災害においては、近隣の人々などの、地域による助け合い「共助」が効果を発揮しています。災害が発生した時に、命を救う鍵となる「共助」について知り、日頃からできることを重ねて、もしもの時に備えておきましょう。

共助とは

例えば、一人暮らしのご高齢の方などは、災害が発生した時に自力で避難することが難しい場合があります。備えのないまま、思いがけずに旅先などで大災害に見舞われることもあるかも知れません。大きな地震などが発生した時には、倒壊した建物などに閉じ込められてしまうこともあります。火災が発生しても、崖崩れなどで道路が寸断されていて、消防車や救急車が駆けつけることができないかもしれません。
避難所に身を寄せることができても、運営するのは自分たち自身です。自宅の建物は無事なもののライフラインが止まっているといった状況で、在宅避難することを選んだ場合には、給水や飲食物などの配給、被災した際の手続きの情報などを得ることが難しいことがあるかもしれません。

こうした、発災直後から避難時、復旧・復興時にわたるまで、自助では守りきれなかった命を守り、生活をつなぐために重要な役割を果たすのが「共助」です。
ボランティアや自治会、自主防災会などをはじめ、地域やコミュニティといった周囲の人たちが協力して、助け合うことを「共助」と言います。

隣近所などの顔を知っている人はもちろんのこと、それまで知らなかった人とも災害時には協力して、助け合うことが必要なのです。

共助は、救助や支援ばかりではありません。避難が必要だと思われる状況になった時に、「一緒に避難しましょう」と声をかけることも、共助の一つです。
共助は、特別な訓練などをしていなくても、その場に応じて自分のできることを考えて行動することで、誰にでもできることです。もちろん、日頃からの訓練や備え、地域の人などとの関係づくりをしておくことで、非常時にもより大きな力を発揮することができる可能性があります。

共助によって多くの人が救われた、阪神・淡路大震災

1995年1月、兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源としてマグニチュード7.3を記録し、6,400人以上の死者・行方不明者を出した、阪神・淡路大震災。この震災では、公助の限界が明らかになるとともに、多くのボランティアが支援活動などを行い、「ボランティア元年」とも言われている災害です。
現在のように、建物の耐震診断や耐震補強が進められていない中で発生した震災では、新耐震基準が定められる1981年6月1日よりも前に建てられた建物(既存不適合の建物)の多くが倒壊するなどしました。こうした地震によって倒壊した建物から救出され、生き延びることができた人のうち、警察や自衛隊などの公助よって救出された人は約2割(約8,000人)程度で、約8割(約27,000人)が家族や近所の住民などから救出されたという調査結果があります。
また、救助隊によって救助されたのは約1.7%で、自力で脱出したのは約35%、家族に救助されたのが約32%、隣人や友人に救助されたのが約28%だったという調査結果もあります。

地震によって火災も発生し、消防などの行政は消火活動にもあたらなければならず、すべての倒壊現場に救助隊が速やかに到着することが難しかったため、家族や友人・隣人などによる「自助」と「共助」での救出率が高くなりました。
身近な人たちがジャッキやバールを持ち寄り協力しあうことで、たくさんの人が救出されたのです。

戦後初めての大都市を襲った直下地震と言われている阪神・淡路大震災では、建物や家具の下敷きになって命を落とした人が多く、地震による直接死した人の約8割にものぼったと言われています。倒壊した建物内に閉じ込められ、衰弱して亡くなるケースも。
もしも共助が行われなければ、2万人前後の人がさらにこの災害で命を落としていたかも知れません。

また、避難所には地震発生から1年間でのべ約138万人のボランティアが活動し、炊き出しなどを行いました。

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