災害時に命を救う鍵は、地域による助け合い。共助できる関係づくりを(前編)

災害時に命を救う鍵は、地域による助け合い。共助できる関係づくりを(前編)

子どもたちも「助ける人」となった東日本大震災

2011年3月、東北地方を中心に12都道府県で1万8,500人以上の死者・行方不明者を出した、東日本大地震。地震発生から短時間で東北地方から関東北部の沿岸を大津波が襲い、死者・行方不明者の多くは、津波によるものでした。市町村の職員なども津波によって命を落とすなど、公助にあたる行政も被災して被災者を支援することが難しくなり、自助・共助で乗り越えざるを得ないような状況も多くありました。

岩手県釜石市では約1,300人の死者・行方不明者がでました。しかし、この地区の鵜住居小学校と釜石東中学校にいた児童・生徒の約570人は、全員無事に避難することができました。釜石市では、古くから「海岸で大きな揺れを感じた時には、一刻も早くそれぞれ高台に避難し、津波から自分の命は自分で守る」という「津波てんでんこ」という自助の教えが伝えられていました。鵜住居小学校の児童たちは、まず校舎の3階に上がりましたが、釜石東中学校の生徒たちが高台に向かって避難するのを見て、一緒に避難しました。中学生が小学生の手を引き、また児童の中には自宅にいた祖母を介助しながら避難したり、避難してきた周りの人たちと一緒に指定避難所よりもさらに高台へ避難する例もあったといいます。

まずは自分の命を自分で守る自助が周りの人たちにも影響を与え、それが他の人たちへの避難を促す「共助」につながり、命を救うことにつながりました。子どもたちが人の命を救う共助の主体となりました。
このエピソードは、「釜石の奇跡」といわれています。

白馬村の奇跡

「白馬村の奇跡」といわれている、震災でのエピソードがあります。
2014年11月、長野県の北部、北安曇郡白馬村を震源としてマグニチュード6.7、最大震度6弱が観測された、長野県神城断層地震でのこと。木造住宅の多かったこの地域では、冬の季節には積雪量も多くなることから、建築基準法における垂直積雪量の基準によって太い柱が使用されていたものの、住宅の全半壊88棟(同全壊31棟)と、多くの建物に深刻な被害が発生しました。しかし、倒壊した住宅に取り残されたり下敷きになるなどした人を近所の人たちが協力して救出・救助し、奇跡的に一人の死者も行方不明者も出なかったということです。

白馬村は農村部ということや11月下旬の車の冬用タイヤ交換のタイミングだったこともあり、チェーンソーやジャッキなどを持っている家が多かったことから救助・救出にあたることができたことも背景の一つです。
しかし、なによりも、コミュニケーションが平時からできていて、「あの人はこの時間帯であればこの部屋にいるだろう」というように、地域住民がお互いをよく知っていたことや、消防団の活動を多くの人が経験していて、それが受け継がれていることが共助につながったと、地域の人はふりかえっています。

関連記事: