モルスタ出身の金融エリート、55歳で障害者支援の弁護士に 「金権派」はなぜ「人権派」へ?

モルスタ出身の金融エリート、55歳で障害者支援の弁護士に 「金権派」はなぜ「人権派」へ?

4月から第一東京弁護士会の副会長に就任する橘真理夫弁護士(67期)は、今年がキャリア10年目。大規模単位会では珍しい「若手副会長」だ。

ただし、年齢は65歳で新執行部最年長。もともとは外資金融大手のメリルリンチやモルガン・スタンレーの上級役員で、ロースクールを経て55歳で弁護士になった。

弁護士として専門にするのは経済法ではなく、まったく畑違いの障害者の刑事弁護。被疑者・被告人を適切な病院や施設などにつなぐことで、再犯を防ぐことも仕事にしている。

「犯罪を繰り返す人の中には、障害や病気が影響している人もいます。実際に効果がある治療法もあるのですが、刑務所に入れるだけだと、再犯で出たり入ったりを繰り返すことになりかねず、本人にも社会にもよくありません」(橘弁護士)

自称「金権派」だった金融エリートは、なぜ「人権派」の道を歩むようになったのだろうか。

●交通事故で妻亡くす 自身も大けが

早稲田大大学院でシステム工学を修め、1984年に東京銀行(現・三菱UFJ銀行)へ入行。当時、理系出身者といえばメーカー就職がほとんど。大学院から銀行就職はまだ珍しく、他行の面接では変人扱いされることもあったという。

「みんなと同じ道にいくのもつまらないなと。そんなとき、アポロ計画(1961~1972年)が終わって仕事がなくなったエンジニアが、金融業界で大成功したという雑誌記事を読み、興味を持ちました」

働き始めるとさまざまなプログラムを組み、取引を最適化。所属先に大きな利益をもたらし、数年足らずで昇進してニューヨーク支店(ウォール街)へ栄転。日本における理系出身金融パーソンの先駆け的存在だ。

しかし、ニューヨーク赴任中に転機が訪れる。1993年6月、交通事故に遭い、妻を亡くした。自身も大けがを負い、異国の地で入退院を繰り返し、計10回近く手術を受けることに。今も太ももなどにプレートが残っており、右手の指が十分に曲がらないため、身体障害者手帳の交付を受けている。

「それまでは社会的に割と強い立場にいましたが、一気に弱いほうになった。人の優しさが身に沁みましたが、冷たさも随分体験しました。直接ではないにせよ、このときの経験が障害者刑事の仕事にもつながっているんでしょうね」

●「失うものは何もない」外資系への転職

ただし、弁護士を志すのはもう少し先のことだ。

「入院中、これからどうしようか、すごく考えたんです。事故で妻が亡くなり、子どももいなかったから、失うものが何もなかった。入院中、差し入れの『ゴルゴ13』を読んで、本気で傭兵になろうかと思ったり(笑)。会社に戻っても上司と折り合わなくなって、もう辞めようと…」

そんなとき、アメリカの大手投資銀行メリルリンチからのオファーが届いた。

「邦銀の自分たちからすると、アメリカの大手投資銀行のインベストメント・バンカーって、すごい給料をもらって、飛行機はファーストクラス。ウォール街でも大リーガーのような憧れの存在でした」

新天地で悲しみを紛らわすように仕事に打ち込むと、数年後にはさらに好条件でモルガン・スタンレーに移籍した。

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