モルスタ出身の金融エリート、55歳で障害者支援の弁護士に 「金権派」はなぜ「人権派」へ?

モルスタ出身の金融エリート、55歳で障害者支援の弁護士に 「金権派」はなぜ「人権派」へ?

●有名裁判の原告に 敗訴で法曹目指す

しかし、ここでもまた転機が訪れる。日本支社で働いていたとき、会社側と意見が対立し、なんと懲戒解雇されてしまったのだ。

解雇無効を求めて提訴。「モルガン・スタンレー・ジャパン・リミテッド事件」という有名な労働事件で、法律雑誌ジュリストの『重要判例解説』(平成18年度)にも取り上げられた。

結果は、一審こそ請求が一部認められたが、二審で請求棄却となり逆転敗訴。2005年11月30日のことだった。

「判決を読んで、とても自分のこととは思えなかった。現実と裁判官の認定のギャップがこうもあるのなら、金融市場と同じで何か商売ができるんじゃないかと。あと、弁護士になれば、担当裁判官に面と向かって文句のひとつくらいは言えるかなと思って(笑)」

判決への納得のいかなさ、怒りで法律家への道を考えるようになったという。折しもロースクール(法科大学院)が2004年に開校、新司法試験の1回目が2006年におこなわれるというタイミングだった。

●「三振」でローに再入学 歳下同級生との切磋琢磨

50歳手前で、今はなき桐蔭横浜大ローに入学。しかし、法律の勉強は難しく、周りも未修者ばかりで「すごく頑張ったけど、受かる雰囲気がなかった」。

新司法試験も当初喧伝された「合格率7~8割」には程遠く、3回不合格(三振)で受験資格を喪失。再び試験を受けるため、今度は慶應ローに入り直した。

「他のローでは、『三振』しているからと受験すら断られてしまいました。慶應ローは、学生のモチベーションも高くて、先生から当てられて答えられないと、周りから『時間の無駄』『授業を止めるな』という顔をされる(笑)。随所に勉強を促されるような環境がありました」

大手渉外事務所からきた実務家教員の授業では、金融実務について学生にレクチャーするよう頼まれるなど、金融のプロという経歴は学内でも一目置かれていたようだ。

労働法を選択する学生から、有名裁判例の当事者であることを驚かれるなど、歳の離れた学友たちとも交流を深め、刺激を与えあいながら、今度は卒業後1回目の試験で合格した。

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