突然の大量出血から始まった闘病の日々――。妊活の最中に子宮頸(しきゅうけい)がんと診断された花さん(仮称)は、看護師として働きながら、さまざまな出会いに支えられて治療を乗り越えました。発症から治療、そして社会復帰まで、花さんの道のりを振り返りながら、私たちが今できる予防と備えについて考えます。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年8月取材。
体験者プロフィール:
花さん(仮称)
突然の出血から始まった闘病の日々
編集部
病気が判明した経緯について教えてください。
花さん
2024年4月1日の20時ごろ、当時2歳の息子と一緒にシャワーを浴びていた時のことです。浴室から出ようとした瞬間、生理は終わったばかりなのに腟から直径6cmほどの血の塊がドロッと出てきました。「不正出血かな?」と思ったものの、ポタポタ垂れるような出血ではなかったこともあり、婦人科を受診する際の記録用写真を撮るためにスマホを取りにリビングへ向かいました。浴室に戻って血の塊を撮影していると、再びドロッと血の塊が出てきたのです。出血が止まる気配がなかったため、「これはまずい」と感じて救急受診を決断しました。
編集部
不安や迷いはありましたか?
花さん
もちろんありました。夫が夜勤で不在だったため、まず迷ったのは救急車を呼ぶべきか、自分で車を運転して病院へ行くか、子どもを連れて行くかということでした。結局、子どもは近くの親戚に預けて、自分で運転して救急病院へ向かうことにしました。その間も出血は止まらなかったので、大きめのナプキンをあて、パンツをはき、念のためペットシーツも挟んでいましたね。病院には10分ほどで到着し、当直の婦人科医による内診で、腟にガーゼを詰めて応急止血を行い、そのまま入院。医師は夜間緊急手術をするか迷っていましたが、止血できたため翌日の手術で出血源を確認することになりました。手術前の説明では「おそらく子宮筋腫だろう。筋腫が取れれば妊娠もしやすくなると思う」と言われ、「それならよかった」と前向きな気持ちで手術に臨みました。しかし、手術後に医師から「思っていたより良くないものかもしれない」と告げられ、子宮頸がんが発覚した時には落胆しました。
編集部
子宮頸がんと診断された時の心境について教えてください。
花さん
正直に言うと、元々病気になるのも運命と考えるタイプだったので、「治療しなくてもいいかもしれない」と思った瞬間もありました。でも、夫から「子どもの気持ちを考えてみて。ママがいなくなったら子どもは悲しいよ」と言われ、ハッとしました。2回目の大学病院の診察までには、「治療を頑張ろう」と気持ちを切り替えることができたのです。第二子を望む気持ちが簡単には捨てられず、最初は妊娠の可能性を残すため、妊孕(にんよう)性温存療法を希望していましたが、医師からの「誕生していない命よりも、今ある命が大事だと思うよ」という言葉に背中を押される形で、広汎子宮全摘術を受ける決断をしました。
編集部
病名が判明する以前に自覚症状などはありましたか?
花さん
性行為中や行為後に出血することがあったものの、「産後だから不正出血しやすいのかな?」くらいに思っていましたね。また、腟ケアのためにオイルを塗る際、腟の奥に何か触れるような違和感があっても、「こんなものかな?」と深く考えずに過ごしていました。実は、第一子出産後も不正出血が半年以上続いていて、知り合いからは婦人科の受診を勧められていたのです。でも費用がかかるのが嫌で、つい受診を先延ばしにしてしまって……。今振り返ると、それも良くなかったのかもしれません。
支え合いながら乗り越えた治療と再出発
編集部
医師から治療法についての説明はありましたか?
花さん
はい。「第一選択として、広汎子宮全摘術を行う」という説明を受けました。その手術の結果を見て、抗がん剤治療が必要か、放射線治療が必要かを判断するという流れでした。
編集部
病気の発症後、生活にはどのような変化がありましたか?
花さん
体調自体は特に変わりません。強いて挙げるなら、夜勤仕事をやめて日勤のみの勤務に変更してもらったことでしょうか。それ以外、生活のスタイルに大きな変化はありませんでした。
編集部
闘病を支えてくれた存在を教えてください。
花さん
「これからもずっと子どもの成長を見届けたい」という気持ちが、何よりの支えでした。その思いがあったからこそ、治療にも前向きに取り組むことができたのだと実感しています。

