吊り戸棚に残されていたのは
台所はK山さんらしく、整っていました。食卓の上はこざっぱりと片付いていて、布巾はきれいに畳まれています。
目的の吊り戸棚はそれなりに高い位置にありましたが、幸い私の手が届く高さでした。戸棚の中にはガラス瓶が一つ残されていました。梅干しを漬けた瓶でした。「亡くなった妻が何年か前に漬けた梅干しでね、久しぶりに降ろそうと思いついたんだけど、この吊り戸棚、前はわしも届いてたのにどうしても届かなくてね……。どうも背丈が縮んでしまったらしい」とK山さんは困ったような表情を浮かべました。
K山さんから奥さんの話を聞いたのは初めてでしたし、今まで見たこともないK山さんの不安そうな表情に驚きました。ふらつきがちな体では椅子の上に立つこともできなかったのだろうと思いながら、梅干しの瓶を下ろして手渡しました。K山さんは大事そうに受け取り、そっとテーブルへ置いて、私に「本当にありがとう。助かった」とおっしゃいました。
ご自身の体に不安を感じたとき、「あの梅干しの瓶を片付けなくては……」と思い起こされたのか、ずっと心にしまっていた奥さまとの思い出に浸りたいという気持ちだったのか。確かめる機会はありませんでした。それからほどなくしてK山さんは入院され、弁当配達のリストからお名前は消えたからです。
まとめ
K山さんは、奥様を亡くされたあと、誇りを持ってきちんと暮らそうと努められてきたようでした。高齢者の1人暮らしで、しっかり者だから長く安定して暮らせるに違いないと思われた、そんなK山さんにも体の衰えを自覚するときが訪れました。不安や葛藤があったことでしょう。私は一介の弁当配達員で、できることは限られます。高齢者の気持ちに寄り添うよう心がけてはいますが、ご家族やご友人、あるいは介護サービス従事者など、他に心置きなく話せる存在があれば、もっとK山さんを支えることができたのではないか、と感じました。
※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
著者:名和なりえ/50代女性・パート
※ベビーカレンダーが独自に実施したアンケートで集めた読者様の体験談をもとに記事化しています(回答時期:2026年2月)
※一部、AI生成画像を使用しています
著者/シニアカレンダー編集部
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