Ⅳ:頂点 再渡英~第2次滞英期(1920-1923)
2年の日本滞在後再渡英した44歳の石橋は、ロンドン・パリ・日本等各国の展覧会で作品発表しその存在感を高め国際的に活躍したそうです。芸術家たちの紳士クラブへの入会、英国実業家との関係も深まり石橋に対する評価もピークに達していった時期のようです。

背景は暗く、顔は細やかな描き方は一貫しており、その人物の人となりについて想像をかきたてられます。この頃、肖像画を描いてもらうのは社会的なステイタスでもあったんでしょうね。
Ⅴ:栄光 第2次帰朝~急逝(1923-1928)

47歳でロンドンの友人画家と共に帰国、それは関東大震災の翌日だったためしばらく島根に滞在したことで出雲地方の風景画など地元に残ったものが見つかっているそうです。
国際的な画家となった石橋の目に映る松江の町が描かれている貴重な作品ですね。
その後東京にアトリエを構え精力的に制作活動を進めると数多くの政財界重鎮がモデルとして訪れ、画壇での存在感はさらに強くなり帝展で審査員を務めるまでになったそうです。

石橋が描いたのは肖像画だけでなく花鳥画も多く残っています。繊細なタッチで細かい部分まで見事に描かれ、これは滝和亭のもとで培った技法が基盤となっているのでしょうね。
48歳の時、明治神宮外苑聖徳記念絵画館壁画の揮毫を命じられるという名誉を受け準備を進めていた中、51歳で急逝したためそれは実現することはありませんでした。
もし完成していたなら現代での石橋の評価はもっと違っていたのかもしれない…と思うと残念ですね。

