妊娠中に感じた小さな異変をきっかけに、完治はしない難病「高安動脈炎」と付き合うことになった浜田さん。きついことも多い治療の日々で、どのように気持ちを保ち、前を向いて歩んできたのか――闘病の記録をたどります。
※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年10月取材。
体験者プロフィール:
浜田さん
1960年生まれ、大阪市在住。夫に先立たれ、現在は娘との2人暮らし。最近の楽しみは、飼っているウロコインコに芸を仕込むこと。
最初の異変には「大丈夫ですよ」と…
編集部
最初に不調や違和感に気付いた時期はいつ頃ですか?
浜田さん
1995年です。妊娠中に「何だか耳がおかしいな……」と感じ、スピーカーに左右の耳を交互に近づけてみたところ、右耳が全く聞こえなくなっていました。近所の耳鼻科を受診し、医師から「大丈夫ですよ」と言われ、ビタミン剤の処方と耳の奥に振動を与える治療をしました。
編集部
治療の効果はありましたか?
浜田さん
全くありませんでした。だから、このまま続けていても駄目だと思い、会社の診療所に来ている大学病院の医師に診てもらったのです。その医師には「すぐに大学病院に行ってください」と言われて点滴治療を受けましたが、時すでに遅しで……。現在も右耳は失聴(病気や事故により聴力を失うこと)した状態です。
編集部
点滴治療後の経過についても教えてください。
浜田さん
点滴治療後に長男を出産し、すぐに38℃台の熱が1カ月半続いて。あまりに高熱が続くので近所の病院で診てもらい、医師から大学病院を受診するように勧められました。紹介された大学病院で入院し、大腸の内視鏡検査、胃の内視鏡検査、結核の検査や骨髄検査など、たくさんの検査をした結果、「大動脈炎症候群の疑い」という診断が下されたのです。
編集部
告知はどのような形で行われましたか?
浜田さん
ごく普通に「大動脈炎症候群の疑いです」と言われました。難病だということも伝えられた気がしますが、その時は現実味がなかったのか「難病なんて厄介だな」と思っていました。
編集部
大動脈炎症候群とは、どのような病気なのでしょうか?
浜田さん
全身の血管のうち、主に太い血管(大動脈など)に炎症を起こす病気です。今は「高安動脈炎」が正式名称になっているみたいですね。自分の免疫によって炎症が起こるため完治は望めず、「免疫抑制剤などの薬による対症療法しかありません」と言われました。さらに、右耳の失聴も「耳につながる血管が炎症を起こしたのではないか?」とも指摘されました。
「疑い」のまま過ぎた長い年月
編集部
治療の方針について医師から説明がありましたか?
浜田さん
「薬物療法で治療する」と言われました。炎症を抑えるために、ステロイドホルモン剤の服用を始めましたが、この薬は効果が高い反面、強い副作用にも注意が必要です。そのため、血液検査でCRP(C反応性タンパク)という炎症反応の数値を確認し、病状を見極めながら、副作用を最小限に抑えるよう慎重に薬の量を調整して、徐々に減らしていくという説明を受けました。
編集部
当時の心境について教えてください。
浜田さん
ステロイドホルモンには副作用がいろいろとあるので、一生飲むのは嫌だなと思いました。また働いていたため、通院に時間を取られるのがかなりストレスになっていました。
編集部
どのくらいのペースで通院していたのでしょうか?
浜田さん
月に1回以上は病院に通っていました。短いスパン(1〜2週間)で何度も血液検査をして、徐々に薬を減らしていく……という治療の繰り返しでしたね。炎症反応が高い時は「パルス療法」といって大量のステロイドホルモンの点滴をすることになって。ステロイドを大量に投与していると感染しやすくなってしまうため、その際は感染対策として入院もしました。
編集部
受診から現在に至るまで、何か印象的なエピソードなどあれば教えてください。
浜田さん
大学病院の待ち時間があまりにも長いから、途中で個人病院にお世話になることにしたのです。そこでも「血管炎症候群(大動脈炎症候群を含む大きな病名のくくり)の疑い」と伝えられました。それから長い年月がたった3年ほど前のこと、心臓病(大動脈弁閉鎖不全症)を発症したのをきっかけに、自分なりにいろいろと調べたところ「高安動脈炎」ではないかと思って、国立循環器病センター(現・国立循環器病研究センター)の専門外来を受診しました。そこでようやく、確定診断を受けることができたのが、私の一番印象に残るエピソードですね。
編集部
やっと確定診断がついたのですね。
浜田さん
はい。最初に右耳の異変があってから27年がたっていました。「疑い」のままではなく早い段階で診断を確定してくれていたら、指定難病患者への医療費助成制度が適用されて経済的に助かったのに……と残念に思いました。

