脳トレ四択クイズ | Merkystyle
「国に騙されないために高等教育を受けろ」|五木寛之,佐藤優

「国に騙されないために高等教育を受けろ」|五木寛之,佐藤優

「国に騙されないために高等教育を受けろ」

佐藤  生き延びた母は、辺野古()の琉球人()収容所に入れられました。米軍は日本人と琉球人を別民族と考えていたので、別々に収容したんです。

そこから出て久米島に戻ったのは1年後でした。すると、そちらでは日本軍が住民を虐殺していたことがわかった。「一体どういうことが起きていたんだ」とわけがわからなくなったそうです。それで「もう一生独身で生きていこう」と思って、看護師学校に通っているあいだにキリスト教の洗礼を受けました。結局は父と知り合って結婚し、本土に出てきたんですけどね。

五木  そうじゃないと、佐藤さんは生まれてませんものね。

佐藤  しかし、ずっと戦争を引きずっている人でした。私には盛んに「高等教育を受けろ」といっていましたね。

五木  それはなぜですか。

佐藤  軍属時代に、東京外国語大学出身の通訳兵がいたそうです。彼が、みんながいないときにこんな話を母にしたんですよ。

「アメリカは鬼畜()でも何でもない。国際法という法律を守って、女子どもには絶対に危害を加えない。われわれ兵士は最後まで戦わないといけないけれども、あなたは機会を見て必ず捕虜になりなさい。生き残るんです」

だから母はこう考えたんですね。国もマスメディアも国民を騙すけれど、高等教育を受けている人たちは自分で物事を判断できる。だから、息子には高等教育だけは受けさせなければいけない。そういう話でした。

五木  やはり、昭和の戦中を生きた人たちが背負ってるものは重いですね。一人ひとりが、みんな何かしらそういう経験をしている。僕らであっても外地で敗戦を迎えて、それから何年かは本当に大変でした。

佐藤  五木さんがテレビで戦争のお話をされているのを見た父と母が、「この人は本当に苦労してる」といっていました。父はこうもいいました。「お母さんにしてもお父さんにしてもそうだけど、本当に苦労したことはいえないもんなんだよ。いいたくないんだ。思い出したくないから、話せないんだよね」と。

五木  そうだね。自分で忘れようとしますから。お父様は何年のお生まれですか?

佐藤  父は大正14年(1925年)生まれです。深川()の夜学()の工業学校を出て、東大工学部で実験設備の準備などの下働きをやっていました。

五木  じゃあ、お父様は東京大空襲も経験されたんですね。

佐藤  そうです。あのときは、隣組で掘った防空壕には入らなかったそうです。「絶対に蒸し焼きになるとわかっていたから」といっていました。江戸川のほうに逃げた人たちも大勢いたんですが、父は直観的に反対側へ向かった。それで九死に一生を得たんです。

五木  空襲のときに川に飛び込むのは、かえって危険だったらしい。

佐藤  焼夷弾の油が水面に広がって、火の海になることもあるんですよ。父はそれからすぐに召集令状を受け取って、兵庫県の丹波篠山に行きました。そこで支給された軍服が冬服だったので「南方には行かされないな」とホッとしたそうです。実際、もう南方には渡れない状態だったんですけどね。

それから、中国の南京()に行った父は、航空隊に配置されて無線機の修理をやりました。もともと技師だったのです。「ラジオが壊れたから来い」と将校に呼ばれて修理したときに、「この戦争は勝てないんじゃないか」と思ったそうです。というのも、中国の電圧は220ボルトなのに、100ボルトの日本製ラジオをそのままコンセントにつないだせいで、ヒューズが飛ぶことがしばしば起こったんですって。こんな基本的なことも知らない奴らが指揮しているようじゃ、戦争に勝てるわけがないというわけです。半日かけて修理したら「通信兵、ご苦労であった」とかいわれて、砂糖と小豆()をくれたから、汁粉()をつくってみんなで食べたそうです。

五木  ちょっと笑ってしまうけど、まあ、笑い事じゃありませんよね。

 

※次回は4月21日(火)公開予定です。

配信元: 幻冬舎plus

提供元

プロフィール画像

幻冬舎plus

自分サイズが見つかる進化系ライフマガジン。作家・著名人が執筆するコラム連載、インタビュー、対談を毎日無料公開中! さまざまな生き方、価値観を少しでも多く伝えることで、それぞれの“自分サイズ”を考え、見つける助けになることを目指しています。併設のストアでは幻冬舎の電子書籍がすぐに立ち読み・購入できます。ここでしか買えないサイン本やグッズ、イベントチケットも。