ミケランジェロ, Public domain, via Wikimedia Commons. ユリウス2世, Public domain, via Wikimedia Commons.
神のごとき才能を持つミケランジェロと、強権的で妥協を許さない教皇ユリウス2世。互いを唯一無二の存在と認め合いながらも、その激しすぎる自尊心ゆえに、現場では「怒号」と「杖」が飛び交うことも…!?
この記事では、システィーナ礼拝堂の天井画制作の裏側で繰り広げられた、芸術家とパトロンの枠を超えた「究極の喧嘩エピソード」を紐解きます。
喧嘩① 墓廟計画の大混乱:最初から「聞いてた話と違う!」の連続
ミケランジェロによるユリウス2世の壁面墓の第二案, Public domain, via Wikimedia Commons.
ミケランジェロと教皇ユリウス2世の喧嘩の歴史は、ユリウス2世のお墓計画から始まりました。
1505年、当時強大な権力を手にしていた教皇ユリウス2世が、ミケランジェロに「自分が入るための世界で一番ゴージャスな墓を作れ」とかなり無理なお願いをしたのです。
そのスケールは異次元でした。40体以上の巨大彫刻で装飾するモニュメント、もはや「墓」というより「建物」に近い建設計画といえるでしょう。
依頼を受けたミケランジェロも「これこそ俺の代表作になる!」と大張り切り。彫刻の材料となる大理石を求めて、山に8ヶ月も引きこもって最高級の石を切り出し、ワクワクしながらローマへ戻ってきました。
ところが、ここで事件が発生します。
ローマに戻ったミケランジェロを待っていたのは、冷めた態度の教皇でした。実は教皇、彼が山にいる間に別の巨大プロジェクト「サン・ピエトロ大聖堂の建て替え」に夢中になってしまい、墓の予算を大きく消費してしまっていたのです。
サン・ピエトロ大聖堂, ヴァチカン市国, Public domain, via Wikimedia Commons.
山積みにされた大理石の輸送費を払ってもらおうと、ミケランジェロは何度も教皇に面会を求めますが、「忙しいから会えない」と門前払い。ついには「次に来たら放り出せ」という屈辱的な命令まで出される始末。
これには、プライドの塊であるミケランジェロの怒りが大爆発します。
「そんなに俺を無視するなら、勝手にしろ!もう二度と戻ってやるか!」
と、教皇に置き手紙を残してローマを脱走。そのまま地元フィレンツェに帰ってしまいました。
これに今度は教皇が怒り心頭。逃げたミケランジェロを連れ戻すために、フィレンツェの政府へ「彼をすぐ返せ、さもないと戦争だ!」と言わんばかりの脅迫状を3回も送りつけるという、まさに国を挙げた泥沼の追いかけっこに発展しました。
最終的にはしぶしぶ和解しますが、この「墓廟計画」はその後も予算カットや計画変更が続き、結局完成したのは40年後。当初のキラキラした構想とはほど遠い、だいぶミニマムなものになってしまいました。ミケランジェロは後年、この一件を「墓の悲劇」と呼んで、ずーっと根に持ったと言われています。
ユリウス2世の墓, サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会, ローマ, Public domain, via Wikimedia Commons.
とはいえ、ローマに今も残る教皇ユリウス2世の墓は、見る人の心を奪う非常に美しいものです。コロッセオから徒歩10分程度の教会内にあり、ローマを訪れるアート好きの観光客にとっては魅力的な観光スポットの1つです。
喧嘩② 杖で殴った!?システィーナ礼拝堂での限界突破
ミケランジェロ, システィーナ礼拝堂, ヴァチカン市国, Public domain, via Wikimedia Commons.
墓廟計画の頓挫という最悪のスタートを切った二人ですが、運命のいたずらか、次なる舞台は「システィーナ礼拝堂」へと移ります。1508年、教皇がミケランジェロに命じたのは、礼拝堂の広大な天井を埋め尽くすフレスコ画の制作でした。そう、あの有名なヴァチカン宮殿の作品です。
しかし、そもそもミケランジェロは自らを「彫刻家」と任じており、慣れない絵画の仕事には乗り気ではありません。おまけに作業環境は過酷そのもの…。高い足場の上で首を仰向けに固定し、滴り落ちる絵具を浴びながらの孤独な作業は、彼の肉体と精神を極限まで追い詰めました。
そんな極限状態の現場に、さらなるストレスを注ぎ込んだのが、依頼主である教皇ユリウス2世でした。(またしても!)
教皇は進捗が気になって仕方がなく、老体に鞭打って険しい梯子を登り、頻繁に足場の上に現れては「いつになったら終わるのだ!」と、催促を繰り返します。ある日、いつものように急かす教皇に対し、芸術家のプライドが爆発したミケランジェロはこう言い放ちました。
「私が、自分の芸術に満足した時です(Quando sarà finita)」
この一言が、今度は逆に短気な教皇の導火線に火をつけました。一説には、激昂した教皇が手にした杖でミケランジェロを叩いた(あるいは殴った)という衝撃的なエピソードが、後世の伝記作家ヴァザーリらによって語り継がれています。頑張って制作活動を続けていたミケランジェロが可哀想すぎますね…。
ミケランジェロ『天地創造』システィーナ礼拝堂, ヴァチカン市国, Public domain, via Wikimedia Commons.
もちろん、これはどこまでが事実でどこからが誇張された逸話なのか、正確な裏付けがあるわけではありません。しかし、少なくとも二人の間には、物理的な衝突さえ予感させるほどの凄まじい緊迫感が漂っていたのは確かでしょう。
面白いのは、この「杖事件」の直後です。我に返った教皇は、プライドの高いミケランジェロが再び逃亡することを恐れ、すぐさま部下に大金を持たせて謝罪に向かわせたといいます。
権威を振りかざして急かす教皇と、一切の妥協を拒む芸術家。この「殴り合い」に近い激しいぶつかり合いこそが、静かな祈りの場であるはずの礼拝堂に、人類史上もっとも力強く、筋肉質な「神々の世界」を誕生させる原動力となったのです。
