喧嘩③ 「未完成」を許さない芸術家と、我慢できない教皇の攻防
ミケランジェロ, システィーナ礼拝堂, ヴァチカン市国, Public domain, via Wikimedia Commons.
制作開始から数年が経過した1511年。天井画はいまだ完成の目処が立っていませんでしたが、教皇ユリウス2世の忍耐はとうに限界を超えていました。彼は「全貌が見えないなら、せめて今できている部分だけでも公開しろ」と、ミケランジェロに強硬な命令を下します。
なぜ途中公開してはダメなのか?と疑問に思うかもしれません。
しかしそのお願いは、ミケランジェロにとって、これは屈辱以外の何物でもありませんでした。彼にとって芸術とは完璧な状態で提示されるべきものであり、作業用の足場が組まれ、細部が未調整のまま「途中経過」を見せ物にするなど、到底受け入れられることではなかったのです。
しかし、教皇の権力は絶対でした。結局、ミケランジェロの抵抗も虚しく、礼拝堂の前半部分が先行公開されることになります。この時、教皇はさらに追い打ちをかけて「もっと金箔を貼り、鮮やかな色彩で装飾して豪華にしろ。今のままでは貧相ではないか」と注文をつけました。
これに対し、ミケランジェロは皮肉たっぷりにこう返したといいます。
「私が描いたのは聖なる預言者たちです。彼らは金などは持たず、清貧に生きた人々でした。だから贅沢な装飾など不要なのです」
このやり取りは、単なる好みの違いではありません。教皇が求めたのは、教会の権威を象徴する「伝統的で豪華な装飾」でした。一方でミケランジェロが目指したのは、人間の肉体そのものの躍動感によって「精神の崇高美」を表現すること。
ミケランジェロ, 人体の研究, Public domain, via Wikimedia Commons.
つまり、中世的な価値観とルネサンス的な人文主義が、礼拝堂の足場の上で真っ向から衝突していたのです。
結局、教皇の無理強いによって公開された作品は、ローマ中の人々を驚嘆させました。中途半端な状態で晒されることを恐れたミケランジェロの懸念をよそに、その圧倒的な造形力は一瞬にして観衆を虜にしたのです。
皮肉にも、教皇の「忍耐力のなさ」があったからこそ、ミケランジェロは世間の称賛を浴び、さらなる後半部分の制作への執念を燃やすことになったのかもしれません。
互いに一歩も引かない頑固な二人の意地が、最終的に「人類の至宝」というパズルのピースを最後の一枚まで埋めさせたと言えるでしょう。
まとめ:互いに嫌い、しかし互いを必要とした二人
この二人の関係を総括するならば、それは「憎しみ」ではなく「超一流同士の共鳴」です。
教皇ユリウス2世という強引なパトロンがいなければ、ミケランジェロはこれほど巨大な壁画を完遂することはなかったでしょう。そして、ミケランジェロという偏屈な天才がいなければ、教皇の野心はこれほど高潔な形として歴史に残ることはありませんでした。
互いを嫌い、罵り合い、時には杖で殴り合いながらも、彼らは歴史という大きなキャンバスに、二人で一つの奇跡を刻みつけたのです。
