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楊貴妃が愛したおしゃれ空間。暮らしに溶け込む“美”のアートとは

楊貴妃 上村松園筆, Public domain, via Wikimedia Commons.

この記事では楊貴妃が生きた時代のライフスタイルに注目しながら、身近にあった“美“のアートとその魅力をご紹介します。

美貌で国を滅ぼした?楊貴妃とは

楊貴妃の本名は楊玉環といい、中国・唐の第6代皇帝である玄宗の息子である李瑁の妃でした。しかし玄宗にその美しさに見初められ、後宮で最高位の「貴妃」となります。琵琶をはじめとする音楽や舞踊にも優れていたと伝えられ、まさに才色兼備の女性です。

唐玄宗, Public domain, via Wikimedia Commons.

そんな楊貴妃の存在は宮廷にも大きな影響を与えます。キーパーソンとなるのが安禄山と楊国忠という二人の男。楊貴妃に気に入られて彼女の養子となった安禄山は、出世を重ねていきます。

一方で楊貴妃の一族である楊国忠は、楊貴妃に夢中の玄宗に代わって政治の実権を握るようになります。安禄山と楊国忠の対立は深まり、やがて有名な「安史の乱」へ発展。唐を揺るがす大きな内乱へとつながりました。

楊貴妃図 絹本着色, Public domain, via Wikimedia Commons.

玄宗や楊貴妃は都を追われ、逃げる途中で兵士たちの不満が爆発。「すべての原因は楊国忠らにある」として楊一族が相次いで殺害されます。楊貴妃も責任を追求され、玄宗の擁護も虚しく最終的には処刑されてしまいます。

この出来事から彼女は国を傾けた美女、いわゆる“傾国の美女”と語られるようになりました。絶世の美女として現代でも知名度の高い楊貴妃ですが、時代や人々の関係性にも大きな影響を与えた重要な人物といえます。

唐の時代は文化の最盛期

楊貴妃が生きた唐の時代は、さまざまな分野で芸術が花開いた時代でした。色彩豊かな陶器から繊細な筆づかいの絵画まで、さまざまなアートが当時の人々の芸術性を今に伝えています。

独特の色彩と造形が生み出す「唐三彩」

三彩貼花 宝相華文 壺 (7-8世紀 唐), Public domain, via Wikimedia Commons.

唐のアートとして特に有名なのが「唐三彩」です。鉛釉をかけて焼き上げた副葬用の陶器で、もともとは墓に納めるために作られたものでした。「三彩」という名前はクリーム・緑・白または、緑・赤褐色・藍の三色のデザインに由来しています。色を組み合わせて表現する独特の色彩感覚が特徴です。

ラクダに乗った西洋人, Public domain, via Wikimedia Commons.

形は壺や皿などの器物に加えて、皇帝・役人・女性・異国の人々といった人物像や、馬・ラクダ・羊・虎といった動物も存在します。多彩な形状から当時の豊かな芸術性が読み取れます。

宮廷文化を支えた画家たち

唐の時代は陶器だけでなく、絵画の分野でも大きな発展を遂げます。宮廷では閻立本や呉道玄など多くの画家が活躍しました。

当時発展した画法が山や川、渓谷といった自然の風景を描く「山水画」です。山水画とはもともと六朝時代に始まり、唐の時代に完成形となりました。

山水画の作者のなかでも注目したいのが玄宗の時代の官僚・李思訓です。彼には絵の才能もあり、『江帆楼閣図』などの山水画に加えて樹木画や神仙画も高く評価されています。

唐 李思訓 江帆樓閣, Public domain, via Wikimedia Commons.

李思訓には、玄宗の命によって大同殿に蜀道・嘉陵江の風景を描いたという逸話も残っています。同じく命を受けた呉道玄はわずか一日で描き上げましたが、李思訓は数か月をかけて丁寧に仕上げ、称賛されたと伝えられています。彼が描いた泉の絵からは、夜になると本当に水が流れるような音が聞こえたという言い伝えもあり、その画力の高さを物語っています。

李思訓ら画家たちの活躍は、唐の文化をより豊かなものにしていきました。唐にはそれまでの中国絵画の歴史をまとめた記録『歴代名画記』などもあり、当時がいかに芸術の成熟していた時代であったかが分かります。

配信元: イロハニアート

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