兄と二人で作った、すいとんの食卓
江口さんが育ったのは、東京・台東区の上野エリア。父は和食の料理人、母は栄養士という食のプロの家庭だったが、二人とも帰りが遅く、子どもの頃の食卓は質素だった。
兄と二人で小麦粉を手に入れ、水で練ってすいとんを作った。砂糖醤油か、きな粉か、浮いてきたらOKか。そういう食卓が、兄弟の共通の宝になっている。
「84年生まれですいとんってありえないでしょって言われるんですけど、僕からしたらみなさんの方がありえなくて、すいとんだったという事実しかなくて」
父が深夜に帰宅して「何か作ってやるよ」と言ってくれる夜もあった。ただし、包丁を研ぐところから始まる。できあがるのは、玉ねぎをめちゃくちゃ薄く切って、晒して醤油をかけただけのものだ。
「お兄ちゃんとまねして薄く切ろうと思うんですけど、できなくて。そこで父親すごいなみたいな」
贅沢な食材は出てこない。それでも、父の包丁の技が光る瞬間だった。今でも家族が集まるとその話になる。
台東区育ちの少年は、学校では短ランに裏刺繍というやんちゃな日々を送りながら、食べることで感動するという体験を、まだ知らなかった。
「こんなのが世の中にあるんだ」一口のモンブランとの出会い
転機は、母が谷中のある洋菓子店からモンブランを買ってきた日に訪れた。ホテル西洋銀座の伝説のシェフ・稲村省三さんが、谷中墓地のそばに店を開いたと話題になっていた頃のことだ。
稲村さんのモンブランは、上野の山のように栗のペーストを表面に広げた、どっしりとしたたたずまいをしている。
「食べたときにめちゃくちゃ感動したんです。こんなにやんちゃしているのが恥ずかしく思えたほど。食べ物で感動するというのが人生で初めてだったと思います」
デリーモを創業した当初、江口さんはメニューにモンブランを置かなかった。「恐れ多すぎて。モンブランという名前をつけたものなんて、やっちゃいけないと思っていて」。自分のブランドが軌道に乗り、確かな手応えを持ってから、ようやくメニューに加えた。今はデリーモの看板メニューのひとつになっている。

