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始める前から「大変そう」と思っていないか 合氣道家が教える《心の力み》のほどき方|藤平信一

始める前から「大変そう」と思っていないか 合氣道家が教える《心の力み》のほどき方|藤平信一

大事な本番で緊張してしまう。頑張っているのに結果が出ない――その原因は、気づかないうちに心と体に生じた「力み」にあるかもしれません。心身統一合氣道会会長・藤平信一が、姿勢・呼吸・意識を整え、本来の力を120%引き出す心得を伝える『力を抜く練習 動じない自分の養い方』が2026年4月22日に発売されました。

ロサンゼルス・ドジャースの若手選手指導でも実践された知見をもとに、緊張に負けない心身の整え方を解説した本書から、一部をご紹介します。

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始めてしまえば、あとは半分

心身統一合氣道を集中的に学びたいと、ドイツから一人の青年がやってきました。日本に数年滞在していた彼があるとき、自身が嗜んでいるという「書」を披露してくれました。書家のような見事な筆遣いに感銘を受けた私は、思わず「ドイツ人なのに、これほどまでに書が上手とは!」と言葉をかけました。

青年は「ありがとうございます」と微笑んだ後、「でも、先生も日本人ですけどピアノを弾きますよね」と静かに言いました。

ぐうの音も出ません。私の中に「西洋の人に書は難しいはずだ」という無意識の決めつけがあったことに気づかされたからです。

思い込みや先入観というものは、自分ではなかなか自覚できないものです。そして、そうした偏った見方に基づいた発言は、ときに意図せず相手を傷つけてしまうことがあります。幸いにも、彼はそれ以上気にする様子はありませんでしたが、私にとっては大きな教訓となりました。

こうした「思い込み」は、私たちの日常のあらゆる場面で深く影響を及ぼしています。

よくある思い込みの一つに、「大変そう」というものがあります。ひたむきに努力している人を見ると、周囲はつい「苦労しているに違いない」と感じてしまいます。しかし本人に尋ねてみると、「全く大変ではありませんよ」と、意外なほど晴れやかな顔をしていることが多いものです。私自身も、日々の稽古や組織の運営について「大変ですね」と声をかけていただくことがありますが、私の中には「大変だ」という感覚はほとんどありません。

周囲の思い込みであれば大きな問題にはなりませんが、厄介なのは、自分自身に対して「大変そうだ」と思い込んでしまうことです。何かに取り組む前から「これは骨が折れそうだ」と身構えてしまうと、それは精神的に大きな重荷となります。実際にはそれほどでもない事柄が、思い込みのフィルターを通ることで、実態以上に困難なものとして映ってしまうのです。

私たちは往々にして、「大変そうだから、やめておこう」という選択をします。しかし、そのような消極的な姿勢を繰り返していては、新しい扉を開くことも、自分を成長させることも叶いません。「大変だ」と身構えることで心には強い力みが生じ、その硬直は体へと伝わって、私たちの動きを鈍くさせます。

そこで提案したいのが、行動する前の「大変そう」という思い込みを、前向きな言葉で上書きすることです。「始まりは全体の半分」という古代ギリシャの格言があります。「最初の一歩を踏み出しさえすれば、すでに半分は終えたようなものだ」と捉え方を変えると、心から余分な力が抜け、すっと楽になります。心にゆとりが生まれれば、「どうせやるなら楽しんでみよう」という主体的な意欲も湧いてくるでしょう。

無自覚な思い込みを手放すだけで、心は力むことなく、持てる力を存分に発揮できるようになります。私たちは知らず知らずのうちに、自ら作り出した思い込みに縛られ、自らの可能性を狭めてしまっているのかもしれません。

まずはその「心の癖」に気づくことから、すべては始まります。

「変える」のではなく「上書き」する

長年の習慣になっていること。たとえば、お酒やタバコ。「やめたい」と思っているのに、なかなかやめられないという方は多いのではないでしょうか。

無理にやめようとすると、大きなストレスとなり長続きしません。「習慣」とは年月をかけて体に定着したものですから、考え方を変えるだけ、あるいは、いきなりやめるだけでは変わりません。これまでの習慣を取り除くのではなく、新しい習慣をつけること。その積み重ねが、結果として古い習慣を上書きすることにつながります。

稽古も同じで、「力まないように」と意識するのではなく、「リラックスして行う」ことを繰り返して習慣にするのが大事です。「新たな行動によってそれまでの行動を上書きする」。これが、最も早く、効果的に身につけるための合理的な方法なのです。

私は毎日欠かさず飲んでいたお酒をやめることにしました。健康上の理由からではなく、習慣を変える実験をしたくなったのです。「飲んではいけない」と心が抑圧状態になると、ストレスが膨らみ、結局、またお酒に手を出すことになります。

一年ほど前に岐阜県の飛驒を訪れました。森林が面積の九割以上を占める自然豊かなその地では、数百種類もの薬草が自生し、人々は野山の薬草を摘み、その恵みを体に取り入れて暮らしてきました。そこで頂いた薬草茶がとても美味しかったので、お酒を飲みたくなったら、お酒の代わりに薬草茶を飲むことにしたのです。「お酒を飲む」という行動を、「薬草茶を飲む」という新しい充足感で上書きしました。

さらに、目に入る場所にお酒を置かない、食後すぐに歯磨きをするといった工夫をしました。いったん動いた氣を止めることは難しく、無理に制止しようとすれば多大なエネルギーを要します。「飲みたいのに飲めない」という葛藤の状況を作り出さず、「飲みたい」という氣が初めから起こらないように環境を整えたのです。

違和感があったのは最初の三日くらいで、三週間もすると習慣化し、三ヶ月経った頃には、お酒を飲まない毎日が当然になりました。お付き合いの席で少量をいただくことはあっても、自ら「お酒を飲みたい」と思うことが全くなくなったのです。こうなれば、ストレスは生じません。実験は見事に成功し、体の強度を保ちながら、大幅な減量にもつながりました。

私の経験では、物事が定着するためには「三」のつく期間が節目となります。三日、三週間、三ヶ月、そして三年。この「三」という数字は、心身が新しい状態に馴染むことに深く関わっているようです。「三日」を例にすれば、一日目は違和感に戸惑い、二日目は少しずつ順応し、三日目には抵抗がなくなってきます。その浸透の度合いが、日、週、月、年という順で、重層的に深まっていく実感があります。

私たちの人生には、様々なことが起こります。大変な事態に直面したとき、その瞬間はいつまでも続くような錯覚に陥りますが、私たちは次第にその状況に順応し、時間が解決してくれることも少なくありません。

まずは三日、それを超えたら三週間、そして三ヶ月と目標を置くことで、困難をしなやかに乗り越えていくことができます。それは体に新しい習慣が定着する期間であるとともに、心が静かに変化を受け入れるために必要な時間でもあるのでしょう。

配信元: 幻冬舎plus

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