「心を決める」ことで迷いを捨てる
私の師であり、父でもある藤平光一は、ひとたび師弟という関係を結んでからは、肉親という枠を超えた厳かな時間を共にしてきた存在です。しかし、まだ親子として過ごしていた幼い頃のことで、ふと思い出したことがあります。
小学校低学年までの私は、いわゆる虚弱児でした。原因不明の発熱で学校を何ヶ月も休むほど体が弱かった私に、父は「毎朝、風呂場で水をかぶりなさい」と勧めました。「夏の暑い日から始めて、まずは一年間、欠かさず続けなさい」と言うのです。
小学四年生になった私は、その言葉通りに始めました。真夏のうちは水浴びも心地よく感じられましたが、秋が深まるにつれて次第に辛くなり、冬を迎える頃には、朝が来るのが憂鬱で仕方がなくなりました。
そんな私に、父は「心を決める」ということについて話をしてくれました。自分の中に「水をかぶる」か「かぶらない」かという選択肢があるから、そこに迷いが生じて辛くなるのだというのです。ならば、最初から「水をかぶる」と心を一つに定めてしまえばよい、と。
言われて気づいたのは、「なんとかして休めないか」という迷いがあるときほど、服を脱ぐだけで寒気がし、水をとてつもなく冷たく感じるということでした。ところが、「かぶらない」という選択肢を潔く捨てて心を決めてしまえば、不思議なほど辛さは和らぎました。身をもってその違いを理解した私は、それからは自発的に取り組むようになったのです。
約束の一年が経ち、再び夏が巡ってきた頃には、水をかぶることはすっかり習慣になっていました。ここでやめてしまうのは惜しいと感じ、結局、中学校に進学するまでの二年半、一日も欠かさず続けました。この体験こそが、その後の私の基本姿勢となる「心を決める」ことの原点となりました。

「心を決める」とは、決して気負ったり力んだりすることではありません。それは、自分の中に生じる「迷い」を捨てることです。迷いが消えることで、心から余分な力みが抜け、本来のしなやかさが戻ってきます。
私たちは困難に直面すると、「このまま進んでいいのか」「他に楽な道があるのではないか」と迷い始めます。しかし、この迷いこそが苦しみを増幅させ、壁を乗り越えるための力を奪ってしまうのです。
藤平光一は、何事においても「心を決める」ことを何より大切にしていました。心を決めずに物事を始めてしまえば、そこには必ず揺らぎが生じます。一つのことをやり遂げたいと願うなら、まずは心を決めてしまうことです。
心を決めて打ち込み、それでもし結果が出ないのなら、そのとき初めて次の選択をすればよい。そうやって一つひとつの事柄に真っ直ぐに向き合うことで、私たちは迷いから解放され、心の力みを手放して歩んでいくことができるのです。

