人格そのものを否定された気分
「しつけの差」その言葉に、私の堪忍袋の緒がピリリと音を立てました。私は壮一が悪いことをすれば、しっかり叱ります。
危険なこと、人に迷惑をかけることには人一倍敏感に注意してきたつもりです。でも、彼が持って生まれた「活発さ」そのものを否定されるのは、私の人格、そして息子自身の存在を否定されているのと同じです。
何より許せなかったのは、それを壮一がいる場所で、本人に聞こえるように言うことです。 子どもは敏感です。大人が自分を嫌っていること、疎ましく思っていることを、言葉の意味が完全には分からなくても察知します。
その日の帰り道、トボトボと歩く壮一の小さな背中を見て、私は言いようのない申し訳なさと、由美子ちゃんに対する強い不信感で胸がいっぱいになりました。彼女は、親しき仲にも礼儀があるということを、知らないのでしょうか。それとも、あえて私を傷つけようとしているのでしょうか。
あとがき:子どもの心に届く、大人のトゲ
子どもは大人が思う以上に敏感です。直接的な言葉の意味は分からずとも、向けられた「拒絶の空気」は確実に小さな心に影を落とします。由美子ちゃんの「しつけ」という言葉は、母親としての努力を全否定する最も残酷な武器。自分の子を物差しにして他人をジャッジする傲慢さが、二人の溝を決定的に広げました。トボトボと歩く壮一の背中を思うと、親として胸が締め付けられる思いがするエピソードです。
※このお話は、ママリに寄せられた体験談をもとに編集部が再構成しています。個人が特定されないよう、内容や表現を変更・編集しています
記事作成: ゆずプー
(配信元: ママリ)

