大事な本番で緊張してしまう。頑張っているのに結果が出ない――その原因は、気づかないうちに心と体に生じた「力み」にあるかもしれません。心身統一合氣道会会長・藤平信一が、姿勢・呼吸・意識を整え、本来の力を120%引き出す心得を伝える『力を抜く練習 動じない自分の養い方』が2026年4月22日に発売されました。
ロサンゼルス・ドジャースの若手選手指導でも実践された知見をもとに、緊張に負けない心身の整え方を解説した本書から、一部をご紹介します。
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不調のときほど「当たり前」に立ち返る
「技がうまくできないのですが、何がいけないのでしょうか」
道場の稽古において、生徒さんからよくいただく質問です。初心者の場合は、技の形や動きが違っていることが多いのですが、そうでなければ、その原因の多くは「土台」の乱れにあります。土台とは姿勢です。自分自身の姿勢が整っていなければ、相手を導き、投げることはできません。盤石な土台を築くことこそ最も重要です。
土台を整えることが技の基本ですが、稽古を重ねていくうちに、いつの間にかその基本が疎かになることがあります。行き詰まりを感じたときこそ原点に立ち返り、土台を確認することが解決への近道となります。基本動作と言われる「入身動作」や「転換動作」は、この土台を再確認するためにあります。
「いつもと変わらないはずなのに、なぜか調子がよくない」
日常生活でも、そのように感じる瞬間があるはずです。意思の疎通が滞り、こちらの意図が相手に正しく伝わらない。普段なら気づくはずのことに気づけない。大きな体調不良ではないけれども、どこか具合が悪い。このようなときに必要なのは、特別なことをするのではなく、徹底して基本に戻ることです。
日常生活における基本とは、すなわち「当たり前のこと」を指します。当たり前のことを当たり前に積み重ねることで乱れたリズムも自然と整っていきます。
たとえば「挨拶」がそうです。形だけの挨拶になると、相手の顔を見ず、発する氣を捉えることを忘れてしまいます。発する氣をみるからこそ、相手の状態を深く理解することができるのです。

「確認」も同様です。ひとたび「分かった」と思い込むと、疑問や違和感を持つ感度が鈍くなります。改めて確認する姿勢を持つことで、相手の意図を正しく理解できるようになります。
「呼吸」も欠かせません。呼吸が浅くなると、疲れやすく、プレッシャーにも弱くなります。深く安定した呼吸を保つことで、心身ともに健やかになり、いざというときの強さが養われます。
「姿勢」「挨拶」「確認」「呼吸」。いずれも当たり前のことですが、無自覚のうちに疎かになり、それが「なぜか調子が悪い」という状態を招く一因となるのです。
いつでも基本に立ち返ることが、自分を整えるための第一歩となります。
「心の解像度」を高める言葉の力
基本に立ち返るためには、まず「今の自分がどのような状態か」を正しく把握する必要があります。
そこで重要なのが自身の心の動きを言葉にすることです。
「やばい」
てっきり最近の言葉だと思っていましたが、語源を調べてみると、江戸時代に用いられていた「やば」から派生したようです。「やば」とは「不都合なこと、けしからぬこと、奇怪なこと」を指し、近年「極めて程度が良いさま」を表す意味が加わったといいます。
美味しく感じても「やばい」、不味く感じても「やばい」。幸運に恵まれても「やばい」、窮地に陥っても「やばい」。
一見、便利な言葉に思えますが、異なる心の状態を同じ言葉で片付けてしまうと、心の働きを正しく把握する力が衰えていきます。まるで解像度の低い映像を見るかのように、自分の心の状態がよく分からなくなってしまうのです。
「嬉しい」という感情の中に混じる微かな寂しさや、「悲しい」という感情の裏側にある安堵感。そうした微細な心の動きを認識できなくなります。
心の働きを具体的な言葉にすることによって、心の解像度は高まり、心の動きを克明に捉えられるようになります。そして、最も大事なことは「なぜそのように感じるのか」という核心にアプローチできるため、自身に生じる様々な変化を適切に扱えるようになるのです。
指導者になって間もない頃、私は重要な場面で強い不安に襲われることがありました。当時は「なぜ不安が生じるのか」を理解できておらず、その不明瞭さがさらに大きな不安を呼び起こしていました。あまりの苦しさに、せめて今生じている感覚を書き出して整理してみたのです。頭の中が判然とせず、同じ思考が停滞している感覚。首や肩がこわばり、循環が滞っている感覚。何より「臍下の一点に心を静めている」はずが、実際には心が乱れている。そのような状態で、物事が円滑に運ぶはずがありません。

今、自分に生じている感覚の正体は何なのか。なぜ生じているのか。氣の呼吸法を丁寧に行い、心が静まっていくうちに、ふと気がつきました。
「ああ、本当は怖いのだ。だから体が反応しているのか」
当時の私は、失敗によって周囲からの評価を失うことを恐れていました。しかし、無意識のうちにその恐怖を否定し、覆い隠していたのです。評価を失う怖さは生存本能に近いものがあり、完全に消し去ることは容易ではありません。
しかし、「内向き」になっている意識を「外向き」に切り替えることは可能です。恐怖を感じること自体を否定せず、目的の達成のためになすべきことに意識を向けた瞬間、漠然とした不安は霧散していきました。自分で制御できないからこそ不安が増幅するのであり、不安を解消する第一歩は、自身の状態を正しく把握することにあったのです。
大事な場面で、体が硬直してしまうとしましょう。過度に緊張しているときは、自身の状態を客観的に把握できません。すると、その緊張は制御不能な「厄介もの」に変貌してしまいます。もし、自分が緊張していることを冷静に自覚できれば、なぜその緊張が生じ、どう向き合うべきかという課題に取り組むことができます。そうなれば、不安は自ずと小さくなっていきます。
それでは、どうすれば自身の状態を正しく把握できるのでしょうか。
有効な方法の一つは、自身の心の働きを具体的に表現することです。このとき、「やばい」といった曖昧な表現で済ませてはいけません。具体的に表現できるということは、自身の状態を深く理解している証しであり、心の働きを正しく掌握できているということでもあります。
これは、道場での稽古においても不可欠な取り組みです。余計な力が入っていることを自覚し、なぜ力んでしまうのかという心の仕組みを理解するからこそ、正しく心身を整えることができます。
自分自身を知る。それは最も大事な基本でありながら、最も困難なことかもしれません。しかし、自身の状態を具体的に表現する習慣を積み重ねることによって、その精度は着実に磨かれていきます。

