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不調のときほど「当たり前」に立ち返る 緊張に負けない心と体の整え方|藤平信一

不調のときほど「当たり前」に立ち返る 緊張に負けない心と体の整え方|藤平信一

「力を抜く」と「氣を抜く」の違い

自分自身の状態を正しく把握できるようになると、今度は「その状態をいかに維持するか」という課題に直面します。

内弟子の修行時代の話です。修行も後半に入ると、身の回りの様々なことが一通りできるようになってきます。

あるとき日課の掃除で、次の予定を控えて急いでいた私は、「まあ、このくらいはいいだろう」と、ほんの少しだけ手を抜きました。

その手抜きは、周囲には気づかれていないようでした。そこで、私は翌日も「このくらいなら」と、また少し手を抜きました。いわば味をしめてしまったのです。それを繰り返すうちに、掃除は徐々に雑になっていたのでしょう。一週間ほど経った頃、師匠から呼び出されました。

「わしが気づいていないと思っているのか?」

掃除のことだと直感しましたが、続く言葉は意外なものでした。

「一週間くらい前から手を抜き始めたね。自分では少しだけのつもりだろうが、それは妥協の始まりだ。小さな妥協であっても、一度許せば必ず次の妥協につながる。自覚したときには、すでに手遅れになっているものだ。それを防げるのは、自分しかいないのだよ」

確かに、私は単に掃除をサボったのではなく、自分に妥協するようになっていたわけです。師匠は一週間の変化に気づきながら、あえて私を見守ってくれていました。本気と愛情深い育成に触れ、これ以降、「自分を磨く上で、いかなる小さな妥協もするまい」と心に誓い、それが私の人生の基本姿勢となりました。

妥協とは「氣を抜くこと」です。小さなことに対して氣を抜くようになると、次第にすべての物事から氣が抜けていきます。最初は自覚できないほどのわずかな「ズレ」であっても、放置すれば日々少しずつ進んでいきます。一ミリのズレが一センチのズレとなり、十センチ、五十センチ、一メートルになる。すると誰もがズレに気づきます。しかし、そのときには、到底修正できないほどの大きな歪みとなっており、人生に深刻な不具合を招いてしまうのです。

「力を抜く」ことと「氣を抜く」ことは完全に異なるものです。余計な力を抜くことで心身は活発に働き、本来の能力が発揮されます。しかし、氣を抜いてしまえば、ただの虚脱状態に陥ってしまいます。この二つは混同しやすいので、本当に注意が必要です。

「まあいいか」という小さな誘惑に負けないことが、あなたの物差しをいつも正しく保ってくれます。日々の小さなことを大切にする積み重ねが、やがて何があっても揺るがない確かな土台となるのです。

「見られる」から「見る」へ──緊張を力に変える心の向き

心の状態を把握できるようになったら、それを人との関わりに活かす段階に入ります。そこで鍵となるのが「心の向き」という考え方です。

たとえば、組織で何らかの問題が生じたとしましょう。

これを「失敗」と捉えると、「失敗をしないように」という「内向きの心」が組織全体に生まれます。すると、新たな挑戦よりもリスクを回避することを優先するようになります。また、自分に責任が及ばないよう、「誰の責任か」という追及に終始するようになります。

反対に、起きた事象を「課題」と捉えると、「課題を解決しよう」という「外向きの心」が組織全体に生じます。すると、困難に思えることにも積極的に取り組む意欲が生まれます。一人ひとりが「自らの役割を果たそう」という主体性を発揮し、結果として組織そのものがダイナミックに変化していきます。

この「心の向き」は、人前に立つ際にも極めて重要な役割を果たします。私はよく、「人前に出ると緊張してうまく話せません」という相談を受けます。原因は様々ですが、主として他者の視線を過剰に意識してしまうことにあります。

「見ているとき」と「見られているとき」の意識の違いを考えてみましょう。

自ら「見ている」ときは、「相手はどんな表情をしているか」「どのような反応を示しているか」と、関心が相手に向いています。これが「外向きの心」です。

反対に、「見られている」と感じるときは、「自分はどう思われているか」「どう評価されているか」と、意識が自分の内側に固執しています。これが「内向きの心」です。

興味深いことに、能動的に「見ている」ときは、「見られている」という感覚が気にならなくなります。反対に「見られている」という意識にとらわれると、相手を正しく「見る」ことができなくなります。なぜなら、心の向きというのは、「外向き」と「内向き」の両方を同時に成立させることはできないからです。心の向きが外へ向いている間は、内側に向かって働くことはありません。

つまり、人前に立つと緊張してしまう人は、意識的に心を外へ向けて、相手を「見る」ように努めればよいのです。緊張は体のこわばりを生みますが、心を外に向けて対象を観察することで、余分な力みが解き放たれます。

私自身、子どもの頃は極度のあがり症でしたが、この「見る」という訓練によって克服することができました。

今では数千人の前で講演することもありますが、登壇する直前に必ず聴衆全体を丁寧に「見る」ようにしています。「男性と女性の比率はどのくらいか」「どのような年齢層が多いか」といった事実に心を向けて観察すると、聴衆の多寡は関係なくなります。余分な力みが消え、穏やかな心地で臨めるのです。

「見られる」ことを恐れる必要はありません。まずは自分から、目の前の相手や世界を主体的に「見る」こと。その一歩が、自分本来の力を引き出してくれるのです。

配信元: 幻冬舎plus

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