●裁判官「助手席のお子さんは一連の様子を見ていたのですか?」
裁判官は、被告人の認識の甘さを厳しく指摘した。
裁判官:きっかけは、早く帰りたくて前の被害者にどいてもらおうと思ったと。
被告人:はい。
裁判官:被害者は、あなたの子の事情は知らなくて普通に走ってるだけなのに、車間を詰めてホーンを鳴らしたら、あおられたと思うのでは?
被告人:今思えば、そう思います。
「自分“も”悪い」というニュアンスを含んだ供述が続いていた被告人は、少し気付かされたような反応を見せた。
裁判官はさらに続ける。
裁判官:助手席のお子さんは一連の様子を見てたんですか?
被告人:最後は見ていた。
裁判官:そのことについて、お子さんと何か話したんですか?
被告人:嫁が喧嘩が嫌いなんで、「言うな」と。
裁判官:今回は事故ではない、押してる。それを子どもが見てることは本当に反省しないと。
被告人:はい。
●「どちらが先にあおったか」よりも大切なこと
あおり運転をめぐる裁判では、「自身も煽られた」という供述を聞くことがある。しかし、どちらが先だったのかは問題の本質ではないのかもしれない。
ほんの一瞬の苛立ちが、取り返しのつかない結果を招く。そして、その代償の大きさを知るのは、いつも起きたあとだ。

