障がいのある子どもが放課後を過ごす「放課後等デイサービス」(放課後デイ)。今、障がいが重く、支援が必要な子ほど、利用しづらいという問題が起きている。
施設、スタッフ数が十分でないことに加え、国の報酬設計のバランス上、障がいの軽い子を多く受け入れ、最小限の支援員で回すことが経営上のインセンティブとして機能してしまっているためだ。
障がいの重さを理由に入会を断られ続け、日替わりで5カ所の放課後デイなどに子どもを預ける保護者や、放課後支援に取り組む団体への取材から制度の改善点を探った。(ライター・田中瑠衣子)
●放課後デイは全国に2万4000カ所、41万人が利用
都内の大手企業に勤める斎藤絵里さん(仮名・30代後半)はシングルマザーで、長男の湊人さん(同、6歳)と2人暮らし。
湊人さんには重い自閉スペクトラム症(ASD)があり、この春、区外の特別支援学校に入学した。自分の気持ちを言葉で伝えるのが難しく、時には噛みつくなど「他害行為」をしてしまうこともある。多動の傾向も強く、付きっきりの介助が必要だという。
ところが、湊人さんは学校が終わると、曜日ごとに異なるサービス事業所に通っている。週のうち4日は区外の放課後デイへ。残る1日は障がいのない子たちと一緒の学童保育を利用する。放課後デイの受け入れ先がなかったからだ。
「入学前は学校と放課後デイなどの準備でてんてこ舞いでした。毎日違う事業所なので、連絡帳の書き方、持ち物、お迎え時間や場所が変わり、スケジュール管理が大変です。お迎えが16時ごろと早めの日は、仕事を早く切り上げる日もあります」(斎藤さん)

障がいの特性もあり、湊人さんは環境の変化にストレスを感じやすい。加えて週1日とはいえ、学童保育のスタッフは必ずしも保育や福祉の専門家ではない。大人数の小学生と一緒に過ごすだけに、他の子にケガをさせないかも不安だ。かといって自身が働かないと生活を維持できない。
「本人も毎日違う場所でよく頑張ってくれていますが、強いストレスを感じているようです。発達クリニックの先生も環境の変化が原因だろうとおっしゃっていました。学童も含め、周りの皆さんが本当によくしてくれて感謝していますが、やはり心配は尽きません」(斎藤さん)
放課後デイは、2012年4月に制度化された。障がいのある小学生から高校生が、放課後だけでなく、夏休み・冬休みといった長期休みも過ごす。2025年12月時点で全国に約2万4000カ所あり、約41万人が利用している。
支援内容はさまざまで、学習支援や創作、運動など多岐にわたる。障がいのある子が友達や支援員と交流し、自立する力をつけることを目的とするが、湊人さんのような重い障がいの子が入りにくいという問題が起きている。
●区内外の50の事業所に問合せ、空きなく学童保育も選択肢に
斎藤さんが放課後デイを探し始めたのは2年前。障がいがある子を育てる先輩から「なかなか見つからないよ」と聞いていたので、早めに動いた。
居住する区だけでなく、ネットで調べて近隣の区の事業所も探したが、数が少ないうえに週5日預かってくれる事業所がなかった。きつかったのが、障がいの重い湊人さんはさまざまな理由をつけられて断られ続けたことだ。
問い合わせた事業所は約50カ所。保育園と違って、自治体が入会調整をしてくれるわけではないから、一軒ずつ自分で連絡し、仕事を休んで湊人さんと足を運んだ。
「最初は子どもの特性に合う雰囲気で、18時まで預かってくれるところを希望していました。でもあまりに断られ続けて、途中から『入れればどこでもいい』と祈るような気持ちになりました。就職氷河期だった自分の就活と重なりましたね」(斎藤さん)
それでも週1日ずつではあるが、4つの放課後デイの確保に成功。しかし、残る1日がどうしても埋まらない。やむなく、健常児も利用する学童保育を選択肢に入れた。

障がいのある子の学童保育入所は、面談と教育委員会の審査を経て決まる。特別支援学校から通いやすい第一希望の学童保育は、部屋の数や広さといった設備面を理由に断られてしまった。
代わりに紹介されたのは、大人の足で徒歩20分ほど必要な学童保育。交通事故なども危ぶまれるところだが、区の担当部局がしてくれたのは、空き状況の確認まで。移動方法についてのアドバイスはなかったという。
「学童まで一緒に歩く練習をしましたが、途中で泣き出して座り込み、たどり着けませんでした。息子の特性上、行き先の見通しがつかないので、長時間の徒歩移動の不安が強いんだと思います」(斎藤さん)
困り果てた斎藤さんはあちこちに相談。移動支援のヘルパーと公共交通機関で通ってもらうことにしたが、放課後デイ同様、ヘルパーの空きが見つからず、契約できたのは入学直前だった。現在、湊人さんはこの学童保育と、送迎がある区外の放課後デイ4カ所をなんとか繋ぎ合わせて、放課後を送っている。
「2年間、必死に情報を集めていたつもりですが、それでも危うく『詰む』ところでした。子どもの成長はうれしいけれど、行く先々でいろんな壁にぶち当たります。自分の子どもが障がい児じゃなかったら知らない世界でした」(斎藤さん)


