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50歳。パンツ2枚で自分探しのスペイン巡礼|佐藤友美

50歳。パンツ2枚で自分探しのスペイン巡礼|佐藤友美

あれのせい、これのおかげ

カミーノは恋の道、友情の道などと言われ、一生付き合う人と巡り会えるなどと聞く。けれども、私にはそういう連れあいができなかった。英語がド下手すぎるのもあるけれど、なんだか人と話すと疲れちゃう。それが顔に出ていたのかもしれない。

おりしも巡礼ベストシーズンらしく、日を追うごとに巡礼者が増える。レストランも宿も巡礼者だらけだ。
それで途中から、巡礼者のうち1割しか選ばないという別ルートを選んだ。

厳しい山越えがあるとのことで、前日はゆっくりと眠ろうと思った。宿のみんなは一緒に夜ご飯を食べに行ったらしい。食堂には私ひとり。スーパーで買ったカップラーメンをすする。
外はどしゃぶりだ。明日はあがるだろうか。

そして、その次の日。
私は、人生で一番美しい日を過ごした。

朝起きたら、晴天だった。
昨日遅くまで飲んでいたらしいみんなは、まだ寝ている。

私は、一人、そっと宿を出た。
突然ルート変更したせいで、このレアなルート上の宿はどこも予約で満室だという。私も慌てて予約サイトを見るが、山越えのあと、下山した街にしか宿が取れなかった。みんなよりも、長く歩く必要がある。

山を登り切った村には、美しい教会があった。みんながビールで乾杯しているのを横目に、私は、山を降りた。

この下り道が、今まで見たどんな景色よりも、美しかった。

前日の雨のせいで、苔むした緑が深々と呼吸をしている。
周りには誰もいない。歩き終わるのがもったいなくて、何度も立ち止まって、何度も肺に空気を送った。

森の中を抜け着いた宿は、巡礼の道を大きく外れ、見渡す限りのぶどう畑の中にあった。
宿、というより、ワイナリーに一部屋だけ泊まれる部屋があったのを予約したのだ。

ひと眠りしたら、ワイナリーのスタッフが声をかけてくれた。
「ゆみ、うちのワインを飲んでいけよ」
人懐っこい顔をした彼は、セラーから出したワインボトルをあけてくれる。

キリッとみずみずしい味。ぱつぱつっとワインが跳ねているようだ。

ここはとても小さなワイナリーだから、ほとんどはアメリカにしかおろしてないんだけど、去年は日本にも営業に行ったよ。
東京、大阪。そう、大阪にはうちのワインを入れているスペイン料理屋があるから、今度行ってよ。シェフはこの近くで料理の修行をしてたんだ。

私がカタコトの英語しか話せないせいで、会話はすごくゆっくりだ。
知っている単語をつないで、だけどほろ酔いだから、そのゆっくりが全然気づまりじゃない。

キミはどうしてカミーノにきたの? と彼は聞く。
どうしてだろう。よくわからない。デトックスしたかったのかも。そう答えると彼は、「それはいい。カミーノはいろんなことを脳から追い出してくれるよね。そしてワインはそれを手助けしてくれる」と、ウインクした。

私たちは、ベランダに出てワイン畑を見下ろしながらそれを飲んだ。夕方なのに高い太陽のせいで、ワインはどんどんぬるくなっていく。
「どんどん、開いていくだろう? 味が広くなる」と、彼はグラスの中の液体をくるくるとまわす。

4杯目のおかわりをした時
Life is so beautiful.
と言われた。

その英語は、私の耳でもはっきりと聞き取れた。
ああ、ほんと、そうだね。

キミが山の上で宿をとれなかったのはso luckyだったよ。

ああ、ほんと、そうだね。

突然ルート変更したおかげで
宿が取れなかったおかげで
前日の雨のおかげで
拙い英語のおかげで
まだ高い太陽のおかげで

人生で最も美しい日を過ごすことができた。

私ね、ボブ・マーリーの歌詞が好きなんだと伝える。
おお、ボブ・マーリー。それはどんな歌詞?

Love the life you live.
Live the life you love.

あなたが生きる場所で人生を愛しなさい
あなたが愛する場所に生きなさい

私がそう言うと彼は、その日一番の笑顔で乾杯をしてくれた。
「いいね! オレもボブ・マーリーに賛成だ!」

よし、人生を変えよう

ゴールとなるサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂が近づくにつれ、私はどんどん憂鬱になっていった。

ああ、終わってしまうな。

到着してしまったら、ゴールは消える。道はなくなる。この先また私は日本で、ゴールのわからない道を歩くのだろうか。
たくさんの仕事とタスクと服とアクセサリーに囲まれて、今日はどうしようと、何かを選ぶのだろうか。
そして、選ばなかったことのほうをいつも気にかけ、小さな後悔やらささいな罪悪感やらをあしらいながら、生きていくのかな。

歩き終えて、巡礼証明書をもらっても、大聖堂のミサに参加しても、とくに何の感慨もわかなかった。

帰りのフライト長いなあと思ったら、ますます憂鬱になった。日本に帰るのが億劫だ。

自分探しにきて気づいたこと。
自分はもう、自分にだいぶ、飽きている。

ホテルに戻ると、頼んでいたランドリーサービスが仕上がっていますと言われた。洗濯物は全部綺麗にたたまれて、布つきのバスケットの中にうやうやしく置かれてた。

そのまま持っていっていいと言われたので、バスケットをかかえて部屋に戻る。

ベッドの上にかごを置いて電気をつける。
服を手に取ると、ヨーロッパ特有のフローラルな洗剤の匂いがする。汚れがとれないから捨てて帰ろうかと思っていた薄手のパーカーの袖口が、綺麗になっている。

その袖口を見たとき、ふと涙がこみあげてきた。

これだけあれば2週間生きていけると選んだ服や帽子。毎日汗だくになるので、共同のシャワールームで石鹸でゴシゴシ洗った。時にはじゃぶじゃぶ足で踏みつけて泡をきった。
その服たちが、いま、大切なものを取り扱うような態度で扱われて、私のもとに戻ってきたのだ。

綺麗だな、と思った。

私ももうだいぶ、擦り切れているし、汚れているし、くたくただ。毎日同じ自分に、飽きたりもしている。
けれど、こんなふうに大事に扱っていけばいいのかもしれないな。
なんか、そんなことを思った。

次の日、13日かけて歩いた距離を、バスで4時間で戻ってきた。窓の外の景色は、びゅんびゅんと通り過ぎる。

ポルトに到着する直前に、ふと閃いた。
よし、人生を変えよう。

私はもう私で変わらないけれど、今あるいろんな仕事やタスクや服やアクセサリーやその他いろんなしがらみを一度整理して、人生を変えよう。
そして、綺麗に洗濯して、垢を落として、いい匂いのする自分になろう。

バスを降りてすぐ、東京に戻ったら会いたい人たちに連絡をした。
戻るのが嫌じゃなくなった。

配信元: 幻冬舎plus

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