当時、28歳。僕は、高校時代から付き合っていた彼女との結婚を意識し始めていました。そんなある日、偶然目に入った婚約指輪に心を奪われて……。
指輪を買う決意
彼女との交際期間が10年を越えようとしていた秋のことです。
喧嘩ばかりしていた時期を乗り越え、互いに「そろそろかな」と感じる空気がありました。とはいえ、当時の僕にはあまりお金の余裕がありません。結婚はするだろうと思っていても、結婚にまつわるイベントに大きなお金をかけられるほどの貯金もありませんでした。
そんなとき、偶然目に入ったのが……婚約指輪でした。
当時の僕の給料から考えると、いわゆる「給料3カ月分」どころではない金額でした。それでも、ひと目見た瞬間に思ってしまったのです。
「これは彼女が絶対に喜ぶだろうな」と。
日ごろから、僕は彼女に高価なプレゼントをしていたわけではありません。それどころか、夢ばかり追いかけていて、金銭的に頼もしい存在とは言い難い僕を、彼女は文句を言いながらも支えてくれていました。そんな彼女が、涙を流すほど喜ぶ姿が浮かんでしまったのです。
僕はその日のうちにローンの計算をし、「絶対に5年は仕事を辞めない」と心に誓いました。そして、輝くダイヤモンドの指輪を購入して帰ったのです。
それからは、僕のほうが夢見心地でした。
彼女はどんな顔をするだろう。泣くかな。いや、泣き笑いかな。抱きつかれて「大好き」と言われるだろうか。
そんなことばかり考えていました。
ただ、何よりも彼女の喜ぶ顔が見たかったのです。そして、それが見られると信じていました。
プロポーズ前にフライング
彼女は昔から、「クリスマスイブにテーマパークの小さな噴水の前でプロポーズされるのが夢」と話していました。その夢を叶えようと、僕はひそかにイブの予定を立てていたのです。
ところが、プロポーズを決行する日までまだ1カ月以上あったある日、彼女が僕の部屋に遊びに来ました。もちろん、指輪のことは話していません。こっそり買った指輪と彼女が、同じ空間にあったことすら初めてでした。
この日、彼女と指輪の距離は、初めて1メートルを切りました。
机の引き出しの奥。そこには、彼女を驚かせて、喜ばせて、泣かせるかもしれない秘密のお宝が眠っていました。
僕だけが、妙にドキドキしていました。そして、つい魔が差してしまったのです。
フライングでした。
「あのさ、ちょっとこれ、試しにはめてみる?」
「え、何?」
彼女は少し面倒くさそうに答えました。
いや、そんなふうにしていられるのも今のうちだ。僕は内心、そう思っていました。
「これ、大したものじゃないんだけど」
これまで使ったことがないほどの謙遜を込めて、僕は指輪を差し出しました。
「え?」
彼女が黙ります。
さあ、僕が一生忘れられない笑顔を見せてくれ。そう思った次の瞬間、彼女はこう言いました。
「何これ、本物?」

