ジョン・シンガー・サージェント 「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」 (1885), Public domain.
サージェントの『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』とは
サージェントの『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』は、現実の風景を描いているはずなのに、どこか夢のような空気をまとった作品です。
柔らかな花々に囲まれた夕暮れの庭、淡く揺れるランタンの灯り。サージェントは昼と夜の間の一瞬を描きました。実はこの作品が生まれた背景には、サージェント自身の転機も関係しています。
夕暮れに浮かぶ少女たち
『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』では、夕暮れ時に二人の少女がそっとランタンに明かりを灯しています。
静かな森に咲く白い山百合, Public domain.
庭には淡いピンク色のバラが咲き、その間に鮮やかな黄色のカーネーションが顔をのぞかせています。奥に大きく伸びた白い花はユリです。このユリは、日本のヤマユリではないかともいわれています。
ジョン・シンガー・サージェント 「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」 (1885), Public domain.
また、少女たちが手にしている丸いランタンにも注目しましょう。このランタンは蛇腹が描かれていることから、日本から輸入された提灯と考えられています。ヤマユリと合わせて、当時ヨーロッパで広がっていた“ジャポニズム”の流行が感じられるポイントのひとつです。西洋の庭園風景のなかに、日本文化の影響がさりげなく溶け込んでいます。
フレッド・バーナード, Public domain.
中央に描かれた2人のモデルはサージェントの友人であったイラストレーター、フレッド・バーナードの娘たち。幼い姉妹が夢中になって灯りをともす姿はどこか無邪気で、静かな夏の夕暮れの時間が描かれています。
代表作がきっかけ?パリを追われたサージェント
1885年の夏、サージェントはちょうどパリで起こった大きな騒動から離れるようにしてイギリスへ移り住んだばかりでした。
騒動のきっかけとなったのが、1884年に発表された『マダムXの肖像』。モデルとなったのは、美しくも悪名高いことで有名なヴィルジニー・ゴートロー夫人です。彼女の黒いドレス姿を描いた肖像画は、今ではサージェントの代表作として知られています。
マダムXの肖像, Public domain.
しかし『マダムXの肖像』は、当時のパリで大きな批判を浴びます。サロンに出品された当初、ドレスの肩紐が片方ずり落ちた姿で描かれていました。また作品名は「***夫人の肖像」と伏せられていたものの、人々はすぐにモデルがヴィルジニーだと気づきました。
絵の挑発的な雰囲気は「不道徳」「下品」とされ、批評家たちはサージェントを激しく非難します。画家として順調に名声を築いていたサージェントにとって、この騒動は大きな打撃となりました。彼はやがてパリを離れ、イギリスへ拠点を移します。その後はロンドンやアメリカで肖像画家として大きな成功を収めていくことになるのです。
そんな転機の時期に描かれたのが、『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』でした。華やかな社交界から離れ、サージェントはやっと心を落ち着かせられたようにも感じられます。
作品の舞台は「コッツウォルズ」のブロードウェイ
『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』の舞台となったのは、イギリス・コッツウォルズ地方の村、ブロードウェイにあるファームハウスの庭園です。
コッツウォルズは“イギリスで最も美しい村”とも呼ばれており、サージェントはこの土地で夏を過ごしながら、夕暮れの光に包まれた美しい庭を描きました。
イギリスで一番美しい村「コッツウォルズ」
コッツウォルズ地方はロンドンから北西へ約200km離れた場所に広がる、なだらかな丘陵地帯です。コッツウォルズとは「羊のいる丘」という意味で、牧草地や田園風景が続いています。
コッツウォルズ ブロードウェイの街並み, Public domain.
村には蜂蜜色をした石造りの家が並び、イギリス特有の曇り空さえ絵になるような風景は、“イギリスで最も美しい村”と呼ばれるのも納得です。
サージェントが滞在したブロードウェイも、そんなコッツウォルズを代表する村のひとつ。ブロードウェイ塔を初めとした芸術的な建造物が有名で、物語の中に入り込んだような気分になります。
また、コッツウォルズは映画『ハリー・ポッター』シリーズのロケ地としても知られており、人気の観光地です。映画のような景色を味わえる場所として、今も多くの人を惹きつけています。
花に囲まれた静かなファームハウス
『マダムXの肖像』の一件による喧騒から逃れるため、コッツウォルズ・ブロードウェイに移り住んだサージェントはファームハウスで1885年の夏を過ごします。
イギリスは南東部の田舎の景色, Public domain.
ファームハウスとは農場を営む家族や働く人々が暮らすための家を指し、広い土地と庭を持つことも多くありました。サージェントが描いた庭園も、そんな暮らしの風景の延長にあったものです。花々が自然に揺れ、少女たちを包み込むように広がっています。
