空が輝くマジックアワーを追い求めたサージェント―制作秘話
サージェントが『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』を描いたのは、日没後も空に淡い明るさが残る夕暮れ時。いわゆる“マジックアワー”と呼ばれる時間帯です。青い空に、ピンクや紫がゆっくり滲んでいくその瞬間は、風景を幻想的に演出する効果があります。
夕日 マジックアワーな空, Public domain.
サージェントはこの一瞬の光を逃さないため、1885年9月から11月にかけて毎日のように庭へ向かいました。庭が夕暮れの紫色に包まれ、理想的な光になるほんの数分間を狙って筆を動かしていたといわれています。
しかも本作は自然光のもとで描かれました。現在のように照明設備が整っていた時代ではなく、空の色やランタンの灯りが最も美しく見える瞬間を待つ必要があります。
一瞬を大切に描いたからこそ、写真では残しきれないような、夏の終わりの空気や静かな時間の流れが表れているのかもしれません。
舞台となった風景を検証してみよう
『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』が今も多くの人を惹きつける理由は、単なる美しさだけではありません。庭に差し込む夕暮れの光や、ぼんやり浮かぶランタンの灯りには「本当にこんな景色があったのだろうか」と確かめたくなる不思議な魅力があります。
実際に舞台となったコッツウォルズの風景や、イギリス式庭園の特徴を知ると、サージェントが描こうとしていた日常が少しずつ見えてきます。
ここからは、絵の中の風景と現実の景色を検証してみましょう。
ー なぜ幻想的?ランタンの灯りに隠された工夫
作品のなかで特に印象的に描かれているのが、少女たちの手にしているランタンです。現在ではランタンというとインテリアやアウトドア用品のイメージもありますが、もともとは夜を照らすための実用的な明かりとして使われていました。
あふれる提灯, Public domain.
本作のランタンはいわゆる西洋の金属製のものではなく、日本から輸入された提灯。紙を通して光が広がるため、強く照らすのではなく、ふんわりと周囲を包み込むような明るさになるのが特徴です。
サージェントは、その繊細な光を夕暮れの空と一緒に描きました。マジックアワーの青やピンク、紫が混ざった光に、提灯の淡いオレンジ色が合わさることで、夢のような雰囲気が生まれています。
少女たちの白い服や花びらにも灯りがやさしく反射しており、強いコントラストではない点が幻想的な空気をつくっているのかもしれません。
自然を活かすイギリス式庭園の魅力
本作で描かれている庭はイギリス式となっています。幾何学的に配置されたフランス式庭園とは異なり、イギリス式庭園は「自然の美しさをそのまま楽しむ」のが特徴です。
フォンテーヌブロー城 イギリス庭園, Public domain.
草花や木々を風景の一部として自然に見せることが重視され、花壇をきっちり区切るというよりも植物が自由に広がります。庭そのものがひとつのアートです。
『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』でも白いユリやピンクのバラ、黄色のカーネーションなど、さまざまな花が咲いています。タイトルにも使われている花々が庭いっぱいに広がり、整えすぎられていないからこそ日常になじんで見えます。
サージェントが見た景色は今も残っている?
サージェントが過ごしたコッツウォルズの風景は、100年以上経った今もどこか当時の空気を残しています。
コッツウォルズ, Public domain.
実はコッツウォルズが昔の景観を保つことになった背景には、少し皮肉な歴史もありました。18世紀に産業革命が進むと、地域を支えていた毛織物産業は次第に衰退していきます。
時代は綿製品、さらに大量生産される化学繊維へと移り変わり、コッツウォルズは経済の中心から取り残されていきました。しかし発展から取り残されたことが結果的に、古い街並みや自然風景を守ることにつながったともいわれています。
そして19世紀になると、今度はその穏やかな田園風景が再び注目を集めるようになります。産業革命によって都市生活に疲れた人々にとって、コッツウォルズの自然は癒やしの風景となりました。
20世紀以降は景観を活かした観光地として人気です。特に初夏から夏にかけては美しく咲き誇るバラを目当てに訪れる観光客が多くなっています。
