エリザベス1世|偉大なる「ヴァージン・クイーン」
庶子から黄金時代を築いた名君へ
ジョージ・ガヴァー『アルマダ海戦時のエリザベス』, Public domain, via Wikimedia Commons.
メアリー1世の死後女王となったのが、当時25歳のエリザベス1世(1533-1603)でした。エリザベスは、メアリー1世の異母妹です。
ヘンリー8世の2番目の妻であるアン・ブーリンの娘でしたが、アンは男の子を産まなかったため、斬首刑にかけられてしまいました。エリザベスもまた、異母姉メアリー1世と同じように王女から庶子へと身分を下げられてしまったのでした。
その後、メアリー1世の統治時代には女王への反逆罪を疑われ、一時幽閉されるなど不遇な時代を過ごしたエリザベス。女王に即位してからは、宗教的混乱によって疲弊したイギリスを立て直すことに尽力しました。
さらに、当時「無敵艦隊」と呼ばれていたスペインの船がイギリスを侵攻してきた際、自国の海軍によってその侵攻を打ち破りました。それまで海洋貿易をほぼ独占していたスペインに代わり、イギリスが大きな力を得たのです。
この時の勝利を祝って描かれたのが、ジョージ・ガヴァーによる『アルマダ海戦時のエリザベス』です。まるで世界を手に入れたと言わんばかりに、地球儀の上に手を置くエリザベスの姿が印象的な肖像画です。
エリザベスは生涯誰とも結婚せず、「処女王(ヴァージン・クイーン)」と呼ばれました。
彼女の治世には貿易や文化が大きく発展し、イギリスの「黄金時代」を築き上げることとなります。
『エリザベス1世の虹の肖像画』神格化された女王とファッション
アイザック・オリヴァー『エリザベス1世の虹の肖像画』, Public domain, via Wikimedia Commons.
アイザック・オリヴァーによる『エリザベス1世の虹の肖像画』には、神格化された女王としてのエリザベスが描かれています。
この肖像画に描かれたエリザベスは、右手に「希望」を象徴する虹を持っています。さらにマントには目や耳などの不思議な模様が描かれており、エリザベスが「すべてを見通す」という意味が込められていたといいます。
また、衣裳には真珠がふんだんにあしらわれています。真珠は「処女性」のシンボルとされ、「処女王(ヴァージン・クイーン)」にふさわしいモチーフとして、エリザベスの多くの肖像画に描かれています。
この肖像画が描かれた頃、エリザベスはすでに70歳近い年齢だったと考えられています。
しかし、絵の中の彼女は若々しく、皺ひとつありません。他のエリザベスの肖像画と比べると、顔立ちも異なっています。
まさに、女王の神格化を表現したイメージ戦略として制作された肖像画と言えるでしょう。
メアリー・スチュアート|エリザベス1世を苦悩させたスコットランドの女王
三度の結婚、イングランドへの亡命と幽閉生活
作者不明『スコットランド女王メアリー・スチュアート』, Public domain, via Wikimedia Commons.
エリザベス1世の在位中、彼女を大いに苦悩させたスコットランドの女王がいました。
彼女の名はメアリー・スチュアート(1542-1587)。父であるジェームズ5世の死によって、生後わずか6日でスコットランドの女王となりました。
6歳でフランスへ渡り、フランス皇太子の花嫁候補として宮廷文化を学んだメアリーは、15歳でフランス皇太子妃、翌年にはフランス王妃となります。しかし、夫フランソワ2世はわずか1年で急逝。
子どものいなかったメアリーはスコットランドへ帰国し、その後2度の再婚を経て男の子を出産しますが、3度目の結婚が国民の大きな反感を買って退位を迫られてしまいます。そこでメアリーは、縁類にあたるエリザベス1世に助けを求めたのでした。
しかし、カトリック教徒であるメアリーの存在は、プロテスタント国家イングランドにとって脅威でもありました。
当時のイングランドでは、反エリザベス1世派の人々がメアリーを利用して女王を王座から引きずり降ろそうと画策していたからです。そこで、エリザベスはメアリーをロンドンから離れた小城に幽閉することにしました。
その生活は20年ほど続きましたが、1587年にメアリーがエリザベス暗殺に関与したことが発覚し、ついにメアリーは処刑を宣告されるのでした。
『メアリー・スチュアートの処刑』断頭台で披露した赤いドレス
ロバート・ハードマン『スコットランド女王メアリーの処刑』, Public domain, via Wikimedia Commons.
メアリーが生きていた時代、フランス宮廷はヨーロッパで最も華やかな場所でした。幼少期に渡仏して以来長くフランスの中心にいたメアリーは、自身の死に際をフランス風の荘厳な儀式へと見事に演出しました。
処刑の日、断頭台に現れたメアリーは黒い絹のマントを羽織り、金の十字架を下げていました。マントを脱ぎ棄てたその下から現れたのは、目にも鮮やかな赤い色のドレスだったのです。
当時、赤は殉教の色とされていました。メアリーは与えられた死の宣告に対し、カトリック教徒として殉じるという強烈なアピールで答えたのでした。
ロバート・ハードマンの『スコットランド女王メアリーの処刑』では、断頭台に向かって毅然と歩くメアリーの様子が描かれています。絵の中の彼女は白いヴェールを被り、黒いマントにその身を包んでいます。
そして、処刑台へと一歩踏み出すその足元から、赤いドレスが覗いているのがわかります。
赤いドレスが現れる寸前の場面が描かれたことで、歴史を知っている鑑賞者は、メアリーの赤いドレス姿を思わず想像してしまうでしょう。
死の間際のエピソードや数奇な運命によって、メアリー・スチュアートは後年の芸術家たちの創作意欲を大いに刺激しました。
